「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「魔法少女まどか☆マギカ ワルプルギスの廻天」─悪魔・ほむらの謳う人間讃歌─ 感想と考察(ネタバレ有り)
この物語の意義
『ワルプルギスの廻天』という物語の意味は、『叛逆の物語』で暁美ほむらによって利己的に達成された円環の理からの鹿目まどかの人格の奪回の再評価。つまり「ほむらの選択は間違ってなかったんだよ」と認めてあげたところにあると思う。そして、その答えの説得力をいかに確かなものにしてあげるためのこの120分の物語であった。
特に、最終盤で「アンタだけは円環の理のことをまどか呼ばないでよ」とさやかがほむらに放った言葉は、過去に遡って『叛逆の物語』で暴走気味にまどかを円環の理から引き剥がしたことについても「これはほむらにしかできないことで、その選択は正しかった」と肯定を与えるものだったと思う。さらに、その意味でほむらにとってのまどか、まどかにとってのほむらという関係性の美しさと情緒性を感じた。
それだけでなく、この物語の大きなストーリーラインとして、新登場の魔女っ子たちが救済者として円環の理を肯定し、その円環の理からまどかを引き剥がしたほむらと敵対するという構図だったが、それが余計に"ほむらにしか人間の部分のまどかを肯定できない"という意味合いを加えたし、それはより一層、ほむらのまどかに向けたを想いを神聖で美しいものに仕上げていた。まさにここに『ワルプルギスの廻天』という物語の意義を感じた。ここではその詳細を紐解き、書き記していこうと思う。
魔女っ子たちの役割と立場
今回の物語で新登場した3人のキャラクター。紫丁香、セルマ、そしてワス。
まず、丁香は幸せごっこばかりで希望と絶望までも忘れてしまうことを許さない。その思想は幸せを追求するほむらと相容れない。また、一方で自身を絶望から救ってくれたのが円環の理であるという点において、その円環の理、すなわち鹿目まどかが人であって欲しくないためにもほむらと相対することになる。
そして、セルマは自分が役に立つことを証明したかった。だから、魔法少女になってみんなの役に立ちたいし、その究極として絶望のエネルギー転換で宇宙の寿命を延ばして魔女化することだと信じている。だから、魔法少女の魔女化を封じた円環の理と相対するし、この宇宙のためにとまどかも魔女化させようとする点でほむらとも相対することになる。
最後にワス。彼女はもとは一人の魔女としての個を得られずに忘れ去られた呪いの集合体として顕現したワルプルギスの魔女である。さらにその以前には、かつて数多の魔法少女を救済しようとしてそれを完遂できなかった魔法少女・マルグレーテであった。そんな彼女はワルプルギスの夜としての自身を円環の理に従って救済してくれたから、円環の理としてのまどかを肯定する。さらに、マルグレーテとして完遂できなかった全ての魔法少女の救済をやり遂げた存在として、円環の理としてのまどかは神聖な存在であるし、それと反する立場のほむらと相対することになる。
鹿目まどかの強い心が抱えるもの
明美ほむらにとって、その優しさと強さでみんなを守ろうとする鹿目まどかは憧れで、ほむら自身もそんな彼女の力になりたいと願う。一方でまどかには『叛逆の物語』で明かした、「ほむらちゃん、さやかちゃん、マミさんに杏子ちゃん、パパやママやタツヤ。それに仁美ちゃんやクラスのみんな。誰とだってお別れなんてしたくない。もし他にどうしようもない時だったとしても、そんな勇気、私にはないよ」というもう一つの思いもあった。
まどかには時として自分のことを顧みずに他人のために犠牲になれてしまう強い心を持ち合わせているが、だからこそ、そんな強い心の奥底にある「みんなと一緒にいたい」という等身大の願いのために、ほむらは円環の理としてのまどかを否定する。その結果が『叛逆の物語』で、数多の魔法少女の行く末を顧みずに果たした円環の理からの鹿目まどかの人格の奪回であった。
悪魔の謳う人間讃歌
しかし、『ワルプルギスの廻天』の終盤で、まどかはワスがワルプルギスの夜であり、マルグレーテであることを悟る。そして、全ての魔法少女を救済するというマルグレーテの祈りを今一度果たすために、再び円環の理のもとに戻ろうとする。
そんなまどかを前に、今度のほむらは諦めかけてしまう。ほむらにとってまどかが憧れだったように、ほむら以外のたくさんの魔法少女たちにとっては円環の理が自らを救ってくれる羨望の対象だった。そんな中で、自分だけが人としてのまどかを追い求めて、その果てにまどか自身でもある円環の理を変質させてしまったことを悔やみかけてしまう。
『叛逆の物語』では半ば暴走気味に自らの願いを果たしてしまったが、『ワルプルギスの廻天』ではワスたち魔女っ子たちの円環の理〈鹿目まどか〉に救済されてきた経緯とそれを経て円環の理にかける祈りの強さを前にして、躊躇してしまうところがあったのだと思う。ほむらだって根っからの強欲な悪魔ではない。ほむらにも優しい心があるからこそ、まどかの本音に寄り添いたいと願った。それと同じように、魔女っ子たちの境遇にも思いをかけずにはいられないのだと思う。
でも、その場面でさやかが言ったように、ほむらだけが人としてのまどかを肯定するができる。魔法少女たちはその仕組み上、鹿目まどかが円環の理になるという選択を支持するしかない。その中で悪魔と化したほむらだけが、人間として幸せを望むまどかの思いを認めてあげることができる。まどかが円環の理に戻ることを支持することは、道理としての正義。一方で、そんな選択ができてしまうまどかの心が抱える「この世界でみんなと一緒にいたい」という等身大の本音に寄り添うことは、人としての優しさと理解である。
結局のところ、みんなを救済した原点は円環の理というシステムではなく、人間としてのまどかの想いによるもの。ほむらはそんなまどかに憧れて、だから寄り添ってあげたかったのだ。
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