「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「結城友奈は勇者である 3期」─人間の勇者たちは、僕らも勇者にする─ 感想と考察 9~12話
第9話「真の友情」
新たに大赦から課せられたお役目は、結城友奈の「神婚」だった。「祟り」だけに終わらない友奈に背負わされた運命に、夏凛はどうしようもなくて心が折れそうになっていた。
そんなかつてのライバルを見かね、楠芽吹は「勇者なら堂々としていなさいよ!」と怒りを露わにする。しかし、夏凛は夏凛で「勇者たちだって落ち込んで苦しんで、いっぱいいっぱいになることだってあるのよ…!」と痛切に言い返す。
だけど、そんな芽吹の辛辣にも聞こえる激励と、運命に苛む勇者の友達を助けたいという思いの間で、夏凛に中に思い出されるものがあった。それは、「為せば大抵なんとか成る」という勇者五箇条の一つ。そんな「神樹様の勇者」として強いられた理由ではなく、みんなで作り上げた「勇者部の勇者」としての奮起する理由に、夏凛は立ち上がる力を貰えたように見えた。
それに、夏凛の「芽吹だから元気出た」という言葉も、「私は『芽吹たちとの選抜を勝ち抜いた勇者』であり、だから芽吹の言葉が力になるんだ」と言っているようだった。さらに、その後に続く「私も紹介したいの、私の友達を!」という芽吹に向けた言葉も、まさに夏凛が神樹様の勇者ではなく、みんなの勇者部の勇者であり、「人間の勇者」であるということを高らかに示しているようだった。
第10話「逆境で生まれる力」
最後のお役目は、神婚成立まで天の神からの攻撃を防ぐこと。そこに対して、「私の命でみんなが助かるなら怖くない…」と言う友奈も、「防人の隊長として作戦の成功だけを考えなくては…」という芽吹も共に葛藤の余地はありながらも、与えられた使命に準ずる姿を見せていた。
でも、勇者たちだけは違った。友奈と一緒に帰るために神樹様から彼女を取り戻すという理由で、この戦いに臨んでいた。そして、そこに思うのは、勇者の勇ましさとは仲間を想う勇気なのかもしれないということだった。
しかし、勇者を援護する千景砲が失敗。それは神官の言うように300年も耐え忍んできた人類の限界のようにも思えるものであったが、しかしそれも神への信仰の力に依拠したもの。人類の人類としての戦いはまだ始まっていないようにも思えるものだった。
だから、「人として生きること、みんなと共に生きることを諦めちゃいけない」という楠芽吹の言葉が印象的だった。そして、人のため神に抗うことを心に決めた今の芽吹もある意味で勇者であったと思う。それに、そんな芽吹の言葉に心を動かされ、神と一つになるのではなく、人らしく「生きたいっ…!!」と叫んだ国土亜耶の台詞。それは、まさにここからが神と人類の戦いの始まりを示す宣戦布告のように聞こえていた。
第11話「私の心は燃えている」
大赦の神官たちの「如何ようになろうとも、無力な人間の運命として受け入れる」という諦観的な言葉は、勇者たちの「人間として生きる…!」という決意と全くの対として印象的だった。
そして、友だちのためだからこそと運命を受け入れる友奈だったけれど、東郷さんの「友だちって言うなら、生きたいって言ってよ友奈!」という言葉が、「お役目だから…」と頑なな友奈の心を解いた。そうして、友奈は「みんなと別れるのは嫌だよ…!!」とようやく言うことができた。
それはまさに、人の力とは友情のような「人と繋がる力」なんだと納得がいくようだった。東郷三森の友情に訴えかけた想いが、「世界を救わなきゃ」という思いさえ振り切ってまでも友奈に「私も一緒にいたい!」と言わせた。仲間よりも世界を取ることも難しいことだけど、でもそれと同じくらい世界よりも仲間を取るという決断も難しいと思うし、きっとそれは「人と繋がる力」がなければできないことのように思う。
そして、世界よりも友だちを取った勇者たちであったが、それでもいつも通りのした変わらない世界は戻ってきた。それは別にご都合主義とかそういう理由ではないように思う。いつもの世界というのも、結局はそこにいるみんながいて成り立つもの。
だから、人が人として生きるという選択をして、人類が人の力すなわち「人と繋がる力」を信じることにしたからこそ、この世界も元通りに帰ってきたのだと思う。神様の力よりも友情の力と言うとにわかに信じがたいけれど、信じるなら神様よりも友だちと言えば、なんだかそんな気もしてくる。
そんなたかが友情、されど偉大な友情だと勇者に教えてもらったような結末には、ふと自分の日常を振り返ってみると確かにそうかもしれないと頷けるものであった。
第12話「いつまでも続く喜び」
元通りだけど、今までとは違う新しい世界が戻ってきた。壁がなくなって、神様がいなくなった世界が全てをやり遂げた勇者たちの前に広がっていた。
今まで巫女として神樹様に奉仕してきた国土亜耶は、特に神樹様がいなくなったことがまるで自分が生きるための指針を失ってしまったかのように受け止めていた。だけど、その隣から楠芽吹は「私がいつだって傍にいる」と声をかける。不安な時は友だちことを信じてみてというその言葉には、どこまでも人間らしい温かさを感じるようだった。
そして、新たな時代を前に、これからの勇者部の在り方を考える勇者たち。そこで、園子は乃木若葉が未来に託した初代勇者の一人・白鳥歌野のクワを持ち出して、「戦うことが勇者の本懐なんかじゃなくて、戦いが終わった後に元の暮らしに戻れるよう頑張ることが勇者の本懐だったんだ」と教えてくれた。
だから、「これからの勇者部は人のためになること、困ってる人のために勇者部をもっと続けよう!」という樹の言葉があった。讃州中学勇者部らしいミニマムな勇者、身近な世界に寄り添いながら地道にコツコツ頑張ることが、みんなの生きる世界を救うことにもなるのだと思う。
さらに、それはこの物語の終着点を象徴してるようにも見えていた。人の生きる世界、もっといえば自分の見ている世界を形作っている周りの友だちの存在こそがこの世界の本質である。
だから、世界を守るならば、まずはいつも隣にいてくれる友だちから。そしてまた、そんな友だちがいてくれるという小さな友情を育むことで、大きな意味での世界を守ることだってできる。そうやって人の繋がりを伝って、幸せが広がることで、世界もきっと救われるのだと思う。
そんな小さな幸せの日々を300年前も、今も、4年後もひたむきに守り、未来へ繋げようとする勇者の姿に、とめどなく涙が溢れてきてしまっていた。そして、そんな感動は間違いなく、勇者たちがその勇気を繋げようとする先に、この物語を見守ってきた自分もいる証拠のように思えた。
前半1~8話の感想・考察も。
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