「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「ウマ娘 3期」─負けて泣けたキタサト、次に流すは勝利の涙─ 感想と考察 5~6話
第5話「自分の証明」
次戦に宝塚記念を見据えるキタサンブラックは、菊花賞での勝利に強くなっているという実感を得ていた。
だけど、ドゥラメンテ復帰の報を聞いたキタちゃんは、彼女の実力を知っているからこそ、やっぱり物怖じせずにはいられなくもいた。そして、そんなキタちゃんの姿は、圧倒的な自信と見据えるのは凱旋門賞のみといえドゥラメンテの芯の通った強さとは対象的にも見えていた。
雨宿りの中でのそんな二人の対面。キタちゃんはドゥラメンテに「負けることとか期待に応えられないことって怖くないんですか?」と問う。そして、ドゥラメンテの答えは「そんなこと考えたこともない。負けても立ち止まる暇はないし、私の存在は凱旋門賞のためだけにある」というつくづくと変わらずに彼女の芯の強さを感じさせられるものだった。
だけど、キタちゃんはそこに菊花賞を勝った自分のこともライバルとして見なしてくれていることは一つの自信になるものでもあったし、一方で「キタサンブラック」の名前まではドゥラメンテに覚えられてなかったということはキタちゃんの反骨心を呼び起こすものでもあった。だからいずれにせよ、キタちゃんにとっての宝塚記念というものは、ドゥラメンテに自分の力を見せつけてやる!というパワーをくれる舞台となっていた。
しかし、宝塚記念の結果はリバーライトの勝利で、最後に差し切られたキタサンブラックは3着。ドゥラメンテも足を痛めて2着止まりに終わってしまった。
そんな中で、ドゥラメンテがキタサンブラックに発した言葉は「キミも強かった。キミが私をここまで走らせたんだ」ということだった。そして、キタちゃんも「私だってもっともっと強くなります、ドゥラちゃん!」と応える。そんな二人は負けはあれど、落ち込んだ表情はなくて、むしろ新たなライバル関係として力強く明るく前を見上げていた。
そして、ダイヤちゃんに続き、ドゥラちゃんをレース場の友として得たキタちゃんは、周りとの関係の中でどんどん強く強くなっていくウマ娘なんだということを印象付けられるこの宝塚記念でもあった。
第6話「ダイヤモンド」
ここまでクラシック2レースをあと一歩のところで逃してしまったサトノダイヤモンド。次戦はクラシック最後の菊花賞を控える中で、G1だけが勝てないサトノ家のジンクスを破ろうと躍起になっていた。
そんなダイヤちゃんが挑むのはジンクス破りの特訓。あらゆる不幸や悪運に立ち向かって、打ち破っていくことで、なんとかサトノ家のジンクスを破ろうとしていた。
しかし、フツーに考えればそんな特訓がレースで本当に役立つのかどうかというのは未知数、どころか怪しいところ。客観的に見れば、そんなダイヤちゃんは迷走しているようにも見えていた。
だけど、体調も実力も万全な中で挑んだ皐月賞と日本ダービーを不幸な形で落としてしまったダイヤちゃんにとっては、もうそんな運すら確実に味方に付ける特訓をするくらいしかないという境地に来ていた。それに、今まで数多くのサトノの先輩たちがG1タイトルを掴めなかったことを思うと、ますます運にすがるしかなかったのだと思う。
しかし、そんな時にマックイーンが「無理をしていませんか?キタサンも心配していましたよ」と声をかけてくれた。そして、それは「ジンクスなんてと思っていたけれど、もう負けられないんです」と人事を尽くしに尽くすしかない!というダイヤちゃんを一つ冷静にさせる一言だった。
そして、「菊花賞は一番強いウマ娘が勝つというジンクスがあるんです」「だから、きっとダイヤさんなら自分の実力を出せば勝つことができます」というマックイーンの続く言葉は、「運よりも何よりも自分自身を、自分の力を信じなさい!」という激励として聞こえていた。もう迷わなくてもいいから、自分らしい走りを貫くことこそが勝利に必要な最後のピースというものだった。
確かにサトノダイヤモンドは皐月賞にダービーと一歩及ばなかったけれど、その強さというのは本物だと思う。だって、サトノ家の数多の先輩が敗れ去った思いを全部背負って挑もうというのは、フツーならばとてつもないプレッシャーになるはず。なのに、ダイヤちゃんはそれを丸っきり自分を奮い立たせる力に変えてしまう。それが強さでなくて、なんだというのだろうか。
だから、サトノダイヤモンドというウマ娘はありのままの自分の走りを貫きさえすれば、きっと菊花賞で最強のウマ娘だということを証明することができる。まさに菊花賞本番もそんな圧倒的な走りで、2と1/2馬身差というぶっちぎりの勝利だった。
そして、その後にダイヤちゃんが流した勝利の大粒の涙というのは、今まで彼女が背負ってきたたくさんの思いからの解放のように見えていた。サトノ家の悲願や思いがダイヤちゃんの力になっていたとはいえ、それが重圧であったことは間違いないのだと思う。だから、そこから解き放たれたようなウイニングライブでの満面の笑顔もいっそう華々しくて、見ているこちらも思わず感泣してしまう光景だった。
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