「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「ハーモニー」「虐殺器官」─伊藤計劃の物語─ 感想と考察
Publish date: Apr 29, 2021
ハーモニー
生きることを絶対としたユートピア/ディストピアな世界観の中で善悪を生と死に表象した話だと思っていたら理性と野性の話だった。善か悪か、理性か感情かという二元的な突き詰め方で物語を終始描いていたように見えていたが、最後の場面では複合的な、あるいは感情に寄り添った結末のような印象があった。
生きたい理性と死にたい感情の交錯、大切な人には正しい理性を思いつつも自身には悪側の感情的な選択をしてしまう矛盾、善の裏には必ず悪が存在しそれらは互いに互いがあることで相補的に成立し得る表裏一体性を強く感じた。
圧倒的な完成度のSFな世界観の上で展開されるトァンとミァハの感情や思考を想像し解釈しながら見るのはなかなか容易ではなかったけれど、その分見終わった時の感嘆も一入だった。
虐殺器官
命令の着実な遂行のために感情や痛覚を持たないようにと生み出された特殊部隊構成員の主人公が、虐殺へと人々を駆り立てる言葉を操るテロリストと彼の思想に挑む物語。
この作品に得た一番の教示は「痛いから優しくなれる/安全圏にいるから残虐になれる」ということだった。
ハーモニーに観念的な印象を持ったのに対して、虐殺器官はひどくリアリスティックなものを感じた。虐殺器官も高度にSFな世界観であったが私たちの生きる現実世界の延長線上に思えるものでもあり、ハーモニーで感じた抽象的な在り方とはというものとは真逆の実際的な現実の人の在り様を啓示するものがあった。
また、「人は仕事だからという理由でどんな残虐なことでもできる」という台詞も重く、印象強く感じられた。こういう作風だからか見終わった時にアニメというより社会派ドキュメンタリーを見た時のそれに近い感覚だった。
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