「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「フラ・フラダンス」─ひまわりの絆のエール─ 感想と考察
まず、笑えるとこがいっぱい。
ダメダメで残念なフラダンサー1年生たちの天然もドジもやらかしも日常のコミカルさがあって、思わず声が出てしまいそうな場面がいくつもあった。
それでも彼女たちは一人前のフラダンサーになるため奮起していて、そして様々な困難にぶつかる。がんばってがんばってもみんなに追いつけない、そんな孤独に閉じ込められたような気にすらなってしまう。
がんばれたのはみんなのおかげ
「ここは誰もが乗り越えてきたんだ」「失敗こそが新しい一歩」
みんなも同じ苦難や失敗を知っているから、日羽のつらい気持ちも悔しい思いも本当は分かっている。だから、それに裏打ちされた言葉が失敗だらけで挫けそうな日羽に勇気をくれた。フラの音楽やダンスみたいに優しくて柔らかいものが日羽を包み込んでくれる。
すぐに大成功とはいかなくても、自分たちの道を一歩踏み出せば、その先でみんなが待っていてくれて応援してくれる。たくさんの人と繋がっているからまた走り出せる。
ひまわりが咲いている
そしてお別れの時が来ても、それは悲しいことばかりじゃなくて、もう一人でも大丈夫だって後押しになる。離れていても心のどこかで繋がっている絆があって、苦難の中でもその絆がいつも傍で力をくれる。そうやって日羽にとって今は遠くなってしまった姉との絆を傍で感じさせてくれるものがひまわりの花で、だから時に下を向くことがあっても日羽はまた太陽の方を向くことができるのだと思う。
ひまわりみたいな笑顔を届けたい
その笑顔あるいはそのためにがんばる姿は、見えるとこでも見えないとこでもきっと誰かの失敗を励ましていて、もう一度がんばるための勇気を届けてくれる。
エンドロールと共に流れるフィロソフィーのダンスの『サンフラワー』、あの歌詞の「ひまわりが咲いている 重ねて来た日々の上に」を聴くともうたまらなく涙が溢れてしまう。この作品の描く「失敗してもいい、またがんばってみよう」って暖かさと優しさとエールをいっぱいに感じた。
ずっとおうえんプロジェクト 2011+10
このプロジェクトの前作に当たる「岬のマヨイガ」と重ね合わせてみると、どちらも中心として描かれているものは「たくさんの人との暖かくて優しい絆」や「挫折や失敗から立ち直る」というものが共通していた。
絆に関して言うと「岬のマヨイガ」では外の人も寄り添っていてくれるという点により注目していたように思う。もちろん「フラ・フラダンス」にもそういう点はあったけれど、お別れをして遠くへ行ってしまった人との絆という部分により重点を置いていたという印象を受けた。
立ち直るという点では、「岬のマヨイガ」ではそのアクターが弱い立場の子どもであったこともあり、完全にダメになってしまったとこから立ち直って、そして前へと歩み始めていくという印象が強かった。「フラ・フラダンス」ではあくまでももがき続けなければいけないという状況があり、そこで下を向きながらだったところを前へ向いて笑顔で歩みを進めていくまでの物語だった。
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