「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「ガンダム 閃光のハサウェイ」─崇高な理想と愚鈍な現実─ 感想と考察
理想と現実
子どもと大人
インテリと愚者
テロリストと一般市民
豊かさと貧しさ
この物語で最も豊かさを持っていたのが閣僚たちだが、テロリスト相手の指示も聞かず喚き散らし殺される姿は自由奔放で楽観的である意味理想郷からやって来た穢れを知らない人々のようでもあった
貧しさを物語っていたのはダバオの市民で、1000年後の未来よりも明後日のことで頭がいっぱいという貧しくもあるが現実をハサウェイに語っていた
ホテルでの食事のシーンで、パンを手で千切って食べるマナーにはハサウェイの育ちの良さと上流階級の人間であることがはっきりと印象付けられ、一般人の出身であるケネス大佐との対局性が鮮明に映った
一方でダバオの市中の景色を見た彼は迷いのような、理想と現実、大人と子どもの論理の間で揺らいでいる姿があるように思える
だからこそ、全てを見抜くようなその眼差しを持つギギという一つの子どもの表象に、現実を否定し理想を肯定しようとハサウェイは惹かれるのかもしれない
しかし、他方でハサウェイはダバオの市中で未来のない現実の市民の姿にも感じるところがあるようで、理想と現実、大人と子どもの論理の間で揺らいでいるところがあるように思える
テロリズムという手段に未来を委ねるハサウェイやマフティーには、個人的に似たようなものを感じているので共感とはまた異なるがその心情には寄り添えるものがあった
この作品の見所の一つにサスペンスがあると思うが、冒頭の航空機内の戦闘や、空襲とモビルスーツの戦闘からハサウェイとギギが逃げ惑う場面では、その張り詰める緊迫感にどうしてか涙が滲んでしまった
前者では閣僚たちに、後者ではギギの次々に圧倒的に自らの身に襲い掛かる恐怖と混乱で頭がいっぱいになるようなものと同じ感覚だったのだろうか
ガンダムは逆襲のシャアを予習として見たくらいで、他は「止まるんじゃねぇぞ…」しか知らなかったがかなり楽しめた
逆シャアもそれだけを見たのでよくわからない部分が大半だったが、シャアとアムロの意志を継ぐものであるハサウェイを理解する上では今思えば見ておいて良かったという印象が残った
今回の閃光のハサウェイがDolby Cinemaでの初鑑賞でした
漆黒の宇宙での戦闘や夜間のダバオの襲撃には没入感があって、Dolby Visionは閃光のハサウェイと相性が良かったと思うし、特にOPの漆黒の中に浮かび上がるスタッフロールには感嘆ものだった
一方でDolby Atomosの部分はあまり感じるところがなかった
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