「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「涼宮ハルヒの消失」─長門とキョンが示した愉快な日常セカイ─ 感想と考察
長門とキョンが教えてくれたのは、何の変哲もないこの日常こそが、一瞬一瞬を噛みしめなければいけない非日常なんだということだったように思う。
非日常な日常は日常だけど非日常
クリスマスを目前としたキョンの日常は、今日も非日常だった。ハルヒがクリスマスパーティーをSOS団部室で行う!と宣言して、団員たちはそれに振り回される。ハルヒのめちゃくちゃに付き合わされる「やれやれ」ないつもは聖夜を控えてもなお訪れる…はずだった。
12月18日、世界の日常は非日常だからこそ、平穏な日常だった。日常を非日常足らしめる存在の欠如。それは、涼宮ハルヒの消失。
ハルヒが全ての中心、それがこの世界の理ですらあったはずなのに…。キョンの目の前から突如として消えた彼女、そして、長門やみくる、小泉といったSOS団の面々の見知った姿もそこにはなかった。いや、確かに存在としてはいるのだが、彼らはキョンのことを忘れていたり、ハルヒのことを知らなかったりとキョンの知らない存在となっていた。
キョンだけが置いて行かれた世界
そこに至って、キョンは初めて気づく。あれ程までに疎ましく、煩く、うざったく、飽き飽きしていた涼宮ハルヒという存在がいない。本来ならば清々すると思っていたそれを、キョンは今恐れているのだ。この恐れは、決してこの状況が何か災厄の前触れなのではないかという恐れなんかではなく、この状況そのものが災厄的で恐れの対象。これは、当たり前の日常に存在していた彼女が消えたことへの不安と孤独がもたらす恐れなのだ。
そして、整合性の合わない世界がキョンに孤独で押しつぶそうと襲いかかる。キョンは必死に「涼宮ハルヒ」というやつを知らないか!?あんなやつを忘れるわけがないんだ!!と訴えるも、クラスメイトは見知らぬ名前を叫ぶキョンにただただ慄くばかり。それどころかハルヒの席、教室の窓際最後方に座るのは朝倉涼子、キョンを殺そうとして長門に消されたはずの存在。
さらに、頼りの綱である長門有希はハイスペックお助け宇宙人ではなく、ただの文学少女と化していた。突然のキョンの来訪に怯える姿は、本来の頼もしさなぞ微塵も感じられなかった。それどころか、キョンに好意を寄せるように頬を赤らめながらお茶を注ぐ長門に、キョンはこう思ってしまう。
世界が改変される前と今、どっちを喜ぶべきなのか、俺はどっちが幸せなのか?
あれほど疎ましく思っていたハルヒのいる日常が消えて、キョンは清々するどころか寂しく不安な覚束なさに取りつかれている。そして、そんな感情に陥っている自分自身を「なぜ?」と容易に認めることができない。望んでいた平穏な日常を手にしたはずなのに、心は騒々しい非日常を求めて落ち着かない。本当の自分はあの喧騒の日々に満足していたという認めたくない事実を突きつけられている。
モブKの空しさ
そして、それでもなのか、だからなのか、キョンは元の世界へ帰らなければいけない。いくら長門が図書館の利用者カードを作ってくれた過去をきっかけに自分に想いを寄せてくれている微笑ましい日常がこの世界にはあると分かったとしても。いやむしろその過去が元の世界との整合性示しているのだと分かったからこそ、キョンは元の世界に手を伸ばすことを諦めない。
そして、キョンはこの世界にもハルヒが存在するという事実を掴む。だがしかし、今の彼女は甲陽園学園の生徒だった。そこでキョンに胸に湧き上がるのは、とてつもない空虚の予感。あのハルヒのことだ、甲陽園学園でもSOS団を結成して、自分の知らない人間とめちゃくちゃをやっているんじゃないか。俺の知らないところでも、やっぱりハルヒは世界を振り回す出来事を起こしていて、この世界の俺は画面にも映らずモブにもなれない脇役なんじゃないかという底のない寂しさ。やっぱりキョンは穏やかな日常には満足できないのか、奇想天外な非日常に満足していたのか、思いは揺らいでしまう。
キョンの予感は的中した。この世界のハルヒはただの人間であるキョンなんかに何の興味も示さなかった。だがしかし、ある名前を聞いた途端、キョンを見る彼女の目は一変した。「ジョン・スミス」、3年前の七夕の夜にハルヒの奇行を手助けした男の名。それは、この退屈な日常に非日常な愉快が存在することをハルヒに教えてくれた未来人の名前。俺こそがそのジョンだとキョンは言う。
この瞬間、日常は非日常へと加速する。ただのモブだったキョンは、ハルヒという奇想天外なヒロインの隣に立つ主人公に返り咲く。
鍵は揃う
そして、ハルヒの命令でこの世界でも再現されたSOS団。相変わらずぶっ飛んでいる涼宮ハルヒ、ただの文学少女な長門有希、キョンに懐かない朝比奈みくる、本当にただの脇役と化した小泉一樹、そして日常と非日常どちらを選ぶべきか揺らぐキョン。これが世界の改変し直すキーとなった。
YUKI.N>あなたは回答を見つけ出した。
YUKI.N>これは緊急脱出プログラムである。
起動させた場合、
あなたは時空修正の機会を得る。
YUKI.N>このプログラムが起動するのは一度きりである。
実行ののち、消去される。
非実行が選択された場合は起動せずに削除される。
Ready?_
キョンは思う。このまともでささやかな日常、さらに言えば窮屈そうに生きていた長門が人間らしく生活しているこの世界。それをなかったことにしても良いのか…。それでもキョンは選ぶ。この退屈な世界では満足できない。偽りの穏やかな日常ではなく、帰るべき本物の非日常の喧騒へ向けてエンターキーを叩く。
子どもだけがかかる愉快な魔法
目覚めればそこは3年前の七夕。世界を元に戻すため、キョンには大人版朝比奈さんとやらなければいけないことがあった。
そこで朝比奈さんが語るのは、大人になったからこそ分かる日常のかけがえのなさ。キョンにとってハルヒに散々振り回されるばかりの今の高校生活は飽き飽きするものでしかない。しかし、それを過去のものとして振り返る大人版朝比奈さんに言わせてみれば、「あっという間の高校生活を満たしくれた楽しさだったんだといつの日か思う日がきっと来る」と。
だから、元の穏やかならざる日常こそが正しい世界であり、そのダイナミクスの中で生きることが青春であるのだと言外に滲ませる。そのただ中では決してその価値に気付くことができないが、それを失ってから、あれは良かったという思いが溢れて仕方ないと郷愁に溺れてしまう。めちゃくちゃだからこそ、物語の主人公のように楽しめるのが、涼宮ハルヒとの日常である。
そして、彼女の生み出す近視眼的で幼いセカイ観の中で、共にはしゃいで酔いしれることができるのもまた一瞬の青春の特権なのかもしれない。きっと大人になってしまえば、冷めた目でただの迷惑や妄想と切り捨てるしかなくなってしまうのだろう。やれやれと言いながら、心の中ではその愉快に浸れるのも今のうちなのだ。
そんな風に諭され、キョンは中学生のハルヒに呼びかける、「世界を大いに盛り上げるジョン・スミスをよろしく!」
世界を非日常に巻き込んだ涼宮ハルヒ、その黒幕はキョン自身だったのだ。そして、これを以て、ただ振り回されるだけだったキョンもまた世界を振り回す側に立ってしまったのだ。
長門有希の消失
物語はまだ一件落着ではない。この世界の改変の原因そのものを取り除かなければいけない。3年前の長門有希の指示で、キョンたちは世界が変わってしまった12月18日の早朝の北高前で犯人を待つ。
そして、現れたのは長門有希。
彼女もまた涼宮ハルヒのめちゃくちゃに振り回される日常から逃避しようとしていたのだ。つみ重なった原因不明のエラー、それをリセットしたことで、彼女は世界を改変し、彼女自身もまた全てを忘れたただの少女と化していた。
だけど、今のキョンには分かるのだ。そのエラーというのは感情、情報統合なんたらに生まれた人間らしいそれをキョンは愛おしく守ってあげたくなってしまう。その想いは、改変された世界で青春を生きる少女らしく淡い恋心を抱く長門有希を目にしたからこそ、よりいっそう強く湧き上がる。ありのままの彼女の発露を否定してほしくない、それこそがあるべき日常なのだと教えてやりたい。
そして、キョンは修正プログラムを打ち込もうと長門有希に駆け寄る。
Reset canceled
だがしかし、それは阻止される。朝倉涼子はまたもやキョンを刺す。
キョンの意識が消えゆく中で、一緒に付き添ってきた朝比奈さんではない誰かが現れたような気がすることだけは朧げに気付いたけれど…。
この日常を懐かしく振り返るいつかの大人から
目を覚ましたキョンの視界には知らない天井が飛び込む。そこは改変から元に戻った世界の病院。多少の違いはあるものの概ね辻褄のあった世界であるようだとキョンは小泉の話を聞いて理解する。そして、同時に未来の誰かがあの時の自分を助けてくれたようであるということもキョンは察する。
それはいったい誰なのか。大人版朝比奈さんから大人になって気付く青春時代の尊さを説かれ、またこの一件によってただの傍観者ではなくなってしまった今のキョンにならば、きっと薄々感づけるだろう。いったい誰がキョンの非日常な日常・刹那的な青春の愉快を守ったのか、おおよそ明白ではないだろうか。
雪、無音、窓辺にて。
そして、世界を改変できずにエラーを解消できなかった長門有希。雪降る病院の屋上でキョンは彼女の隣に佇む。彼は長門のありのままの感情や楽しさ、それはまるで雪のようにすぐに溶けてしまう淡く尊いもの。だから、彼女が呟くのは「ありがとう」という言葉。
長門による世界改変の中で、キョンは日常のかけがえのなさを教えられた。
その一方でまた、長門自身もキョンによって自分の胸の内に湧くこの形のないものの大切さに気付くことができたのだ。
音もない世界に舞い降りた、I was snow
色がない世界で見つけたの、You are star
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