「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「君の名は」─運命を紡ぐ結び《ムスビ》の意味─ 感想と考察
二人の運命
誰と繋がっているのか、どこと繋がっているのか、本当は夢や幻なんかじゃないかと思ってしまうくらいに覚束ない記憶。だけど、確かに繋がっていることを感じさせる「結び」がある。
ある日、三葉と瀧は遠く離れた世界を越えて、出会った。あり得ないほど遠い遠い世界を跨いで、溶け合うように交じ合った。
200年前の大火で何のための儀式だったかという記憶が欠け落ちた宮水神社の伝統。母を失って、父との軋轢の末に断たれてしまった三葉と親子の繋がり。そして彗星に散った糸守町と、その夜を最後に失われた瀧と三葉との交わりと三葉という命。
東京で出会った瀧くんにはそもそもなかった三葉の記憶。それから全てに気付いて、カタワレ時に出会った二人。そして、再び消えてしまう君の名前。
「より集まって形を作り、捻れて、絡まって、時には戻って、途切れ、また繋がり、それが『結び』、それが時間」
いくつもの運命の糸は結びついたり分かれたりを繰り返しながら、「時間」という世界を表す一つの太く長い糸を紡ぎ出している。遠い世界を越えて結ばれたある二つの糸も、その時間の中で解れて結ばれてを繰り返しながら、それこそが一つの運命となる一本の糸を編んでいた。
結びとは、
この世界の理なんだと思う。過去も未来も、山の中にも街の中にも、森羅万象の中を流れている節理、それが「結び」。瀧が心惹かれる人工的で無機質な建築物にも、幻想的で破壊的な彗星にも、生きとし生ける生命も、全ての幾千が一つに収束されていく理。それが時という流れの中にあるこの世界の至る所にある。
そんな「結び」の一つがティアマト彗星の落下。あり得ないくらい遠い宙の海からやって来た彗星が、予想もし得なかった確率で二つに割れて、ほんの僅かな確率で糸守の街に堕ちる。だけど、これは宮水神社に伝わってきた伝統に示されていたことで、一筋に導かれた予め定められていた出来事。
そして、この出来事を巡って、あり得ないくらい離れた場所とまさにあり得ないはずの時間の壁を越えて、三葉と瀧が出会った。何億、何兆分の一を遥かに超えた確率の出来事だけど、それはまさにここにあって。
結んで開いていく生命
この世界に生きる何十億人の中から二人が巡り合って、愛が形作られ、交わる。そして、そこから新しい命が分かれ落ちるように生まれ、初めはたった一つの細胞がいくつにも分かれながら増えていって、一人の人間という形を作り出す。人はたくさんの人と出会って別れながら自分の道を進んで、時には戻ったりもする。そして、再びどこかの誰かだけどたった一人の運命の君と結ばれて、また一つ新たな家族を作って、やがて死という最期でまた別れる。
こうして一つの「人生」が形作られる。それは一人の人間にとっての世界を表す「運命」と換言できる。そして、その「結び」の一つ一つが無数に交わり合って、一つの世界という「結び」を形成している。細い糸は手繰り寄せられて、太い糸へと束ねられていく。それは果てしない奇跡のもとに導かれた脆くて美しい運命で、まさに自然の中に秘められている神秘の奇跡。
「君の名は。」という物語
この「君の名は。」と題された物語だってそうだ。一番最初に映された場面から、無数の糸に解き解されて分かれ、やがて二つの世界線が一つに縒り合わされる。出会って別れて、思い出して忘れてしまった二人は最後に再び出会う。
そんな物語をたった一言で表す「君の名は。」という言葉には、そんな数え切れないくらいの幾重にも紡がれた意味を一瞬で一度に感じらることのできる言霊が宿っているように感じる。きっとここにもこの物語を集約している「結び」があるのだ。そして、何よりもこの物語は、人生やそれを取り巻く全ては奇跡だという普遍的であるけれど、忘れがちな忘れてはいけないことを思い出させてくれた。
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