「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「天気の子」─この世界からキミを守るもの─ 感想と考察
何かが欠けた街、東京
東京の街は、この世界は人の手によってあまりに人のものからかけ離れた姿になってしまった。
建物も、インフラも、そこに生きる人々も全てが効率と利益のために整然とならされてしまった都市という空間は、人に優しくない。人の生活のために目まぐるしく変貌を遂げ続ける街は、そうなればなるほどに人が生きづらくなっている。
東京の至る所に張り巡らされた鉄道網は人家すれすれを通り、歓楽街は誰かの快楽と犠牲が表裏一体であることの縮図ですらある。弱者を救うための社会のセキュリティーネットも善意で陽菜と凪を引き裂こうとする。そんな風に整備し尽くした世界の中で、大人たちは自らの首を無自覚に絞めている。この世界は、大人たちは何を失ってしまったのだろうか。
全て思い通りに…
そんな人の作り出した理りに最後まで背こうとするものがある。それが「天気」。人の営みを意にも介せず雨を降らせ、陽を照らす。自然の気ままな天候を人間はただ受け止めるしかなかった。そして、そんな空模様に人の心は簡単に動かされてしまうのだ。
だけど、人は遂に巫女の力でその天気すらも変えてしまった。自然の理りすら人の手の中に収めようとしてしまった。気ままな天気を人の都合で異常気象と呼び、人智の中に収めようとする。そして、あるがままの大地を整然とした都市に変えたように、人はまた空を予報ではなく、予定通りに変えてしまった。合理的で仕方のない犠牲として、陽菜という一人の少女を人柱としながら。
愛にできること
この世界で大人たちが失ったのは、愛。いくら愛しても、相手がそれに答えてくれるとは限らない。どれほど愛を注いだ人でも、唐突に目の前から去ってしまうことも珍しくもない。陽菜は母を亡くしている。圭介も妻を亡くしているし、愛娘と会うことすら義母に拒否されている。思い通りにならない自然を排した人々は、同じように愛のことも忘れたくなってしまった。老年の安井刑事が「そこまでして会いたい子がいるってのは、私なんかには、何だかうらやましい気もしますな」と呟いたように、人はそんな純粋な想いもいつしか忘れてしまっていたのだ。
でも、帆高だけは愛を信じていた。追いかけ続けた陽菜が天気の巫女として空に消えてしまった。誰もと同じように愛する人を不条理に奪われてしまった。だけど、帆高はそこで愛を信じることを止めなかった。不条理に奪われたキミを取り戻せる保証なんてない。だけど、この世界の全てを投げ売って、帆高は愛の力に想いを託した。
この広い広い世界よりも、たった一人のキミのために
陽菜を取り戻した代償に世界は変わってしまった。自然の理りは崩れて、雨は降り止まなくなった。人の作り上げた都市は自然のままに飲み込まれてしまった。何もかもが不安定な世界だけど、「ぼくたちはきっと大丈夫だ!」と言い張れる。なぜなら、まだ愛にできることはあるから。愛を信じているから。
誰かを守るのにどんな堅固な建物も、法律も、便利な生活も、お金もいらない。
キミを守るのは、愛なんだ。
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