「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「TARI TARI」─笑ったり、悩んだり、泣いたりの青春群像劇─ 感想と考察
合唱部の5人が歌と共にたくさんの困難を乗り越えたり、はっちゃけて笑いあったり、時には高い壁の前に諦めてしまうこともあったけど、仲間と支えあってまた前を向いて歩き出したりな青春群像劇。
全13話のどれを取っても合唱部の5人の姿に具現化されたメッセージが込められていた。行く手を阻む困難に打ちのめされてしまう彼ら彼女らの姿に想いを寄せて、一緒に涙を流してしまう場面もたくさんあった。特に5話と6話の和奏の母親とのエピソードは悔しさと切なさと…色んな想いのコンプレックスは今思い出すだけでも波が滲んでしまう程、思いを揺らすものだった。そして、困難からまた前を向いて歩き出す姿にはその分だけ前向きにしてくれる力をいっぱいもらえた。
また、合唱部といってもみんな違った背景があって、それだけ色んな悩みにぶつかったりするけれど、それぞれの良いところもあったりする。だから、誰かが困っていたら他の4人が寄り添って、手を差し伸べてくれる。歌がきっかけで集まった5人が、歌を通してもっとたくさんの人との繋がりを作って成長していく姿は青春そのもので、とっても胸を熱くさせられた。
個人的に、感情に来る青春群像劇としてこれ以上のものは見たことがないし、アニメ全体の括りでも本当にトップクラスに良かった好きと言える作品だった。
以下、物語に触れながらもっとTARITARIについて綴ったり、語ったり
「何もしないで諦めて後悔したくないから!」
来夏のこの一言から全てが始まった。
失敗と挫折を繰り返しながら、小さな成功を少しずつ掴んで行く。失敗を恐れて何もせず、何も成さずになんていられない!その強い思いが前に進み続ける原動力となり、たくさんの人を巻き込んでいくエネルギーとなった。
そして、和奏と亡き母のエピソードは感情に訴えかけてくるものにあまりに溢れていた。
亡き母の一緒に歌いたいという願いを叶えてあげることができなかった思い出。当時、親に反抗しがちだったこと、お母さんが死期が近いことを教えてくれなかったことへのやり切れなさや無念さは痛切で涙がとめどなく溢れてしまう。そして、葛藤の末にお母さんの遺品や和奏とお母さんの思い出の品を処分に至ってしまった和奏の心のうちを思い遣ると寂しくて切なくて耐えきれなかった。
なぜお母さんは病気のことを和奏に告げなかったのか。お父さんが話したその答えは、約束の歌を別れの歌にしたくなかったから、そして、私がいなくなってもその歌が代わりにずっと和奏といてくれる、その歌も聴けば私のことを思い出してくれるから。
両親がすごく愛していてくれたことに気づけなかったこと、それを無下にしてしまった、捨て去ってしまったことを和奏はどうしようもなく悔やむ。だけど、お父さんは捨てたはずの遺品も、作りかけの約束の歌も残しておいてくれていた。だから、最後に和奏が流した涙はもう悲しかったり後悔だったりの涙じゃなくて、ありがとうの涙だった。
さらに、文化祭である白祭に向けてというところで合唱部最大の壁が立ちはだかった。それは、学校経営者から告げられた白祭中止と将来的な閉校という決定。
「学校が終わっても、私たちが終わるわけじゃない」
だけど、合唱部は諦めない。
「やろうよ、白祭!」
理事長による様々な圧力が立ち塞がるも、合唱部はたくさんの人たちと共に立ち向かった。たった5人の合唱部は商店街の人たち、軋轢のあった声楽部や他の部にこれまで何度も合唱部を否定してきた教頭先生までも味方に付けて。そして、お母さんが残し、和奏が完成させた歌を合唱部は白祭で歌うことができた。
みんなで一緒に歌えば、卒業してバラバラになってもこの曲を聴くたびに今まで重ねてきた記憶や景色や想いが蘇る。歌はみんなとの思い出を繋いでくれる楽しい宝物だから。エピローグで描かれた卒業後の彼らの姿はそのメッセージを感じさせるものだった。
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