「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「ストレンヂア 無皇刃譚」─自由こそ、男の生き様─ 感想と考察
流れ者《Stranger》
この物語の核になるのは、「自由」と「縛り」なんだと思う。特に印象的だったのは、仔太郎と温泉に浸かる際に語った名無しの「士官の頃より、今は自由」という言葉。
そもそも赤髪だったり難破船から拾われたりと、外の国にその出自が伺い知れる名無しは、どこにも固定化された居場所がないという意味で、生まれながらの自由人のようにも思える。
そして、その対極にあるのが明から渡来してきた白鸞の一団たち。彼らは皇帝に献上するための不老不死の薬を作るために、仔太郎の生き血を求めていた。そして、その不老不死の薬・仙薬だが、それはまさしく命に執着するという意味で、この世に縛られている象徴のように見えていた。
さらに、広大な土地を治める明の皇帝の絶対性は、この群雄割拠の和の国の統治体制との比較の上でも、変わり様の少ない縛られた世界に感じられるものだった。
そして、その明から追われる仔太郎だが、彼もまた祖国の明を離れてこの国にやって来てもなお、仙薬のために追われ続けるという点で、そういう運命の下に縛られている存在だった。だけど、彼が他と違うのは、名無しがいるということ。流浪の剣士が振るう太刀だけは、仔太郎を運命への縛りから解き放つことができる予感がしていた。
運命を解き放つ刃
一方で、その名無し自身も自分の過去から解き放たれようとしていた。仔太郎が誰より慕っていた祥庵が仔太郎を見殺しにしようとした一方で、名無しだけは仔太郎を救おうと明の一団に飛び込もうという姿。それは、自分の保身に縛られて、自分の大切なものを守れなかった過去の自分を塗り替える瞬間として、象徴的に刻まれたものだった。
そして、明の白鸞の一団と赤池国の虎杖将藍率いる軍勢と、単身飛び込む名無し。そこでも「自由」と「縛り」は印象的に描かれていた。なかでも、人質の領主を射殺して、自分こそが成り上がると野望を露わにした虎杖将藍とその一番家臣の戌重郎太は、その野望のために命の有り無しなど気にせずに戦いに挑む。それは、まさに余計なものに縛られず、ただひたすら自由な生き様だった。だからこそ、彼らが戦いの中であっけなく絶命する姿にも、どこか清々しさすらあった。
さらには、明国の羅狼だってそうだ。彼は永遠の命を求める白鸞に付き従いながらも、彼自身は仙薬には一切興味がなく、ただ強き者との勝負を求めるだけ。故に、名無しとの斬り合いに全てを懸ける様はどこまでも自由な存在であり、そこには漢らしさを感じさせるものがあった。
そして、そんな自由を求める漢たちの物語は、最後に仔太郎が「異国へ旅立とう」と名無しに提案して幕を引く。どこまでも流浪な彼ら《Strangers》は自由に行き続けるのだ。
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