「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「劇場版レヴュースタァライト」─愛城華恋とは舞台少女”わたし”である─ 感想と考察
こんなにも見終わったときに前向きで熱い気持ちを胸に宿しながら号泣するような作品は今までになかったし今後もなかなかないだろうと思うので、その溢れる感情を少しでも言語化していつかの自分もまたこの感覚を思い出せたら、スタァライトを見た後に感想を求めてここまで迷い込んだ誰かも前向きな気持ちをスタァライトから受け取ってくれたらといいなと思って綴ります。
劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト
これは舞台少女と観客とで作る、夢へと背中を押す戯曲
あなたの輝くタワー
4回目の観劇の時に強く印象に残った場面の一つに、中学生の華恋と友だちたちがドーナツ屋さんにいる場面でテーブルの上に東京スカイツリー、京都タワー、通天閣の模型が並べられているというものがあった。
その場面での聖翔音楽学園という目標に向け邁進する華恋に対して尊敬を含んだようなクラスメートの言葉を語る姿や、逆に華恋も決して完璧なわけではなく自分たちと同じ普通の存在と語るクラスメートの言葉には、輝くスタァを追い求めることは舞台少女にだけ許された特権ではなく誰にでも輝くチャンスはあると言いたげに感じた。
東京スカイツリーや通天閣に京都タワー。東京タワーが舞台少女の至る先なら、私は私の輝く頂点を目指せば良い。ここから見えるあの赤と白の送電塔だってきっと誰かの東京タワーになり得るから。
まひるの競演のレヴューにも同じ様な印象を持った。このレヴューのモチーフになっているオリンピックは専らライバル関係を主にピックアップしたものだろう。しかし、金メダルは一つじゃない。いくつもの競技の中で選手たちはそれぞれの金メダルを目指しているように、人それぞれのキラめく舞台があるんだと強く印象付けられた。
本日、今この時
そしてエンドロールの後の最後のシーンに至る。
上掛けも聖翔の制服も脱ぎ去って無名のただの人となった愛城華恋はまっさらに真っ白に映った。
その真っ白な背中にはこの物語を追いかけてきた観客を、自分自身を投影してしまう。
舞台少女と共に、互いを燃え上がらせ合った私たちにはもう点火の火種がついている。新たな舞台へ挑み続ける舞台少女たちにスタァライトされた自分の中には、自分の目指す星を追い求めるための燃料が沸々と燃え出した熱を感じる。
舞台は続くよ、どこまでも
物語の中で華恋の燃料は燃え尽きてしまったけれど、彼女によって燃え始めた自分の中の燃料は尽きることがない。なぜなら、トマトを囓る時、電車に揺られる時、東京タワーを見上げる時にきっとこの物語のことを思い出して熱いものが内から込み上げてくるから。
観客が参加して完成させた物語が今度はスクリーンを飛び出して、観客だった私たち一人一人が立つ舞台の糧になってくれるから。
だからwi(l)d screen baroqueのwide screen baroqueの部分というのは、観客席も舞台上も地続きで観客も舞台の上に役があることだと咀嚼をした。
そして、観客席からでさえ眩く輝いて見える舞台少女なのに、同じ舞台の上から、挙げ句最後のシーンの華恋に投影し同一化したゼロ距離からでは舞台少女の目を焼くようなキラめきはあまりに眩しすぎて涙が滲んでしまうし、そこで感じた感覚を、熱さを、高揚感を忘れたくない。
だから、日々の中でスタァライトを見つけようって。
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