「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ」─本気にならないと手に入らないものがある─ 感想と考察
Publish date: Nov 28, 2021
彼女は、実力のある者の肩を持つようで自分自身は実力主義以上に感情的な論理に身を埋めようとする。彼女は、久美子の調和的な振る舞いを気に食わなそうに見ているくせに自分を犠牲にして先輩である夏紀を立てようとする。
頑張った末に何も残らないどころか、それを否定するような傷を負っていた。本音を隠して、本気でいることから目を背けた久石奏の形は歪んでいた。
「頑張り」の価値は青春の色
久石奏に必要だったのは頑張りを認められることだった。本音だけじゃなく今までの頑張りそのものまで隠してしまったら、それこそ本当に報われない。
本気になることはその結果だけに価値があるわけじゃない。本気で何かに向き合うことでしか分からないその瞬間の感情だったり、自分自身の姿が見えてくる。そうやって本気になって流した汗と涙が青春という価値になるはずだから。
それでもまだ結果を求めて頑張ってきたんだから…と言いたくなる気持ちも分かる。でも頑張りを認めてあげるってことは「よく頑張ったね」ってことだけじゃないとも思う。頑張ってもダメだった後に残る「悔しさ」を腐らせず、糧にすることが頑張りを認めてあげるってことなんだと思う。
それに本音こそ隠していたけれど、頑張って結果を勝ち取りたい気持ちは燻っていた。そのどこか依然の自分と重なる後輩に「奏だって、がんばってきたじゃん!」と言い放った久美子は、中学最後の大会で悔し涙を滲ませた麗奈のように鮮烈な輝きを放っていた。
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