「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「シン・仮面ライダー」─その強さ、何のため─ 感想と考察
その力が奪うもの、救うもの
本郷猛には大切な人を守れなかった過去がある。そして、彼は力を欲した末に人ならざる力を手に入れた。
改造人間となった彼がマスクを被れば、いとも簡単に人を殺めてしまう力がその手に宿る。その上、人を殺すことへの忌避感まで消え失せてしまう。しかし、それは本郷が求めた強さなのだろうか?本郷の優しすぎる心は人を救いたいからこそ、誰も殺したくないと抗っていた。
とはいえ、確かに誰かの命を奪う一方で、それは誰かの幸せを救うことにもなっているのだ。ルリ子にそう諭された本郷は一つの覚悟を決めた。そして、人を守る覚悟が殺しの覚悟となり、本郷はコウモリオーグをその拳で葬り裁いた。
真実:人の不条理
しかし、そんな本郷はハチオーグは殺せなかった。なぜなら、ハチオーグはルリ子にとって大切な人だから。大切な人を守れなかった過去を持つ本郷に、ルリ子の大切な人を殺すことはできなかった。だから、情報機関の人間が代わりにハチオーグを殺すのだ。
これは何なんだのだろうか。この結果は、本郷の父親を殺めた通り魔と変わらないのではないだろうか?果ては、人類の作り上げたAIがショッカーとなって、人類を存亡の危機に陥れようとしていることと、本質は同じではないだろうか?何もかも、すべて人間の不条理だ。
そして、この歪んだ人類の真実こそが、悪の組織が生み出した正義のヒーローという歪んだ存在に繋がる。改造人間・仮面ライダーは人類とは違うのだ。この強さと優しさを兼ね備えた真っ直ぐな信念は、人類にはない。
正義の在り方
だからこそ、非人間仮面ライダーの本当の敵というのは、突き詰めれば、歪んだ人類なのかもしれない。だけど、優しい彼は、敵を打ち倒したりはしない。自らの命を犠牲にしながら戦うという痛ましさを以て、人に正しくあれと訴えかけるのだ。
そして、その正しさというのは、苦しみや悲しみを真正面から向き合うこと。
仮面ライダー2号が象徴するもの
一文字隼人もまたバッタの改造人間だった。彼も多くの人と同じように、絶望した人を多幸感で洗脳するというショッカーの術に嵌められた一人だった。
しかし、ルリ子によって一文字は洗脳を解かれ、同時に幸福で上書きされていた悲しみの過去の苦しみを思い出させられた。しかし、苦しみの代償に、一文字は強き力を正しく使う正義を思い出した。
さらに、本郷が自らの命を捨ててでも、ルリ子の意志を継いでチョウオーグを打倒する姿に、一文字は優しさを知った。
強くて優しい、それこそが強さ
そんな風に、人ならざる強さと優しさを持った二人の訴えに応えた人類の一人として、一文字隼人がいたのかもしれない。恩人であるルリ子と本郷を目の前で失いながらも、彼はその現実から逃げなかった。彼は二人の意志を継ぎ、仮面ライダー2号となった。
それは悲しみや苦しみがあるからこその優しさであり、それと真正面に向き合うからこそ本当の強さを手にできるということを物語っていた。
そして、物語の序盤で人を殺める力の象徴のように映し出されていたライダーマスクだったが、今は違う。最後、2号の目には、ライダーマスクとはギラギラしたものではない、すっきりとした強き優しさの象徴として映っていた。
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