「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「PSYCHO-PASS PROVIDENCE」─神を殺した常守朱、その涙の意味─ 感想と考察
シビュラシステムによって、法律は不要になるだろうか?それが今回の問いであり、議題だった。
神の視座から愚かな人間たちに絶対的な裁定を下すAI、それがシビュラシステム。究極の客観性を携えたその支配システムは、私たちに汚れた人間の主観を一切排した答えをもたらしてくれる。その真実に疑いの余地はない。しかし、まだ根本的なことを語り尽くす必要はあるだろう。それが、正義の価値観だ。
神の鉄槌と断罪
外務省海外調査部現地調査隊、通称ピースブレイカー。かつての政府の飼い犬で、今は首輪の外れた狂犬と成り果てた組織。一体何が彼らをそうさせたのか。
そこには、日本が近隣諸国に仕組む略奪経済や国内の平和の代償にまき散らした世界紛争、ピースブレイカーたちを死ぬまで戦わせる体の良い駒として使った過去があった。そして、そんな不平等を生み出す陰に隠れた人間への復讐と是正こそが砺波率いるピースブレイカーの目的であり、正義であった。彼らが目指すのは歪んだ人為、正義の名により下される悪の暴露と天誅なのだ。
だからこそ、ピースブレイカーたちは神に祈る。正しくない人間と相対する絶対神のAI・ジェネラルこそが、真に平等な裁定を人々に下すものとなり、彼らを導いてくれる。そして、だから、彼らは聖戦に対する死の恐怖を捨て去って、自らの一切合切を捧げることができるし、人に科せられた原罪の赦しを得られる。
その具現化がディバイダー。神を憑依させてくれるその装置が、愚かな人間の主観と客観を分離してくれる。ピースブレイカーたちは脳に埋め込まれたチップにより、痛みの感じない兵士となり、犯罪係数も偽装できる。その上、彼らの預言者もといリーダーである砺波が各員の行動をハックすることができる。そんなピースブレイカーの戦い方は、まさに神とその預言者によって、人の弱さや汚れを排したものだった。
神の座に手を伸ばした人間
慎導篤志の経歴というのは、ここまで見事に成功を続けてきたものだった。なぜなら、彼は神になろうとした人間だったからだ。彼は正義の遂行のためであれば、容赦なく手駒を切り捨てる。事実、彼はピースブレイカーをおびき出すために、ストロンスカヤ博士が殺される結果を招き、さらにピースブレイカーに潜入させていたワシリー・イグナトフを不幸にも自らの手で殺さなければならない事態をもたらした。
慎導篤志は汚れた正義の執行者なのだ。それを正義ために必要な経費と見るか、正義を名乗るには許されない罪と見るかは揺れ動く価値の上にある。しかし、それでも、彼の正義が完全なる潔白な善でないことは確かだ。
懐疑主義:全能のパラドックス
でも、だからといって、彼を以て人間を絶対なる悪と定義できるだろうか?
慎導篤志は神になろうとした人間なのだ。いや、厳密に言えば、神は絶対なる正義という価値観のことである。だから、正確に言えば、彼はこの世に神なる正義をもたらす預言者になろうとした。それが意味するのは、正義の相対性と、神の不完全さ。
慎導が切り捨てた手駒も見方を変えれば、正義のために命を懸けた殉教者と言える。それに、神なるシビュラシステムではジェネラルを信仰することで犯罪計数を偽るピースブレイカーという異教徒を裁くことができない。そして、この後に訪れる真実として、シビュラシステムの目の届かない犯罪者たちに東京は蹂躙されることになる。
神殺し
だから、常守朱は人とシステムを共生を叫ぶのだ。そうでなければ、人は人が生きる価値を失ってしまう。だからこそ、法という人による正義の価値観が必要なのだと訴える。それが、彼女の正義の在り方なのだ。
シビュラシステムは今回の事件を、慎導たちがピースブレイカーによる海外での破壊活動を命じた結果として砺波の離反を引き起こしたと結論づけた。すべて迷える子羊たる人間たちが全てを招いたのだとした。
だから、常守朱はシビュラシステム・局長を撃ち殺した。そして、その神殺しの事実と、それでもなお犯罪計数を低く保ったことにより、彼女はシビュラシステムを公然と否定してみせた。常守朱という人間の正義の価値観によって、シビュラシステムという神に敵対することを選んだ。そして、彼女は「他人の悪を疑い、自分の正義を疑え」と戒め、人間らしく自分のやり方で正義を問えと残された人間たちに道を示した。
彼女が慎導篤志や砺波告善と決定的に異なるのは、正義も罪も自分自身で背負うことにある。彼女は決して人を駒として扱うことも、人に責任を転嫁することもない。自分で選んだ正義だからこそ、その代償も全て自分自身の身で受けようとする。それが神やAIに自分の行動原理も価値観も委ねはしないということであり、それこそが彼女の言う人間の生きる価値なのだと思う。
とある人間の涙の意味
神を殺した彼女は牢獄に囚われ、泣き声を上げる。それは決して自らの選択を悔いているからということなんかではない。自分の正義に伴う責任も痛みも苦しみも、一人の人間として言い訳せずに背負ったからこそ、常守朱は人らしく涙を流すのだ。
続く物語、人と正義の行く末
シビュラシステムやAIというシステムそのものを真っ向から否定した「PROVIDENCE」の物語は、「PSYCHO-PASS 3」そして「first inspector」へと続いていく。そして、一貫して問われ続けてきた「正義とは何なのか」という問いは慎導灼という男に託されることとなる。
そして、その続く物語で明らかにされたのは、慎導灼には免罪体質、すなわちシビュラシステムの一部になり得る資格があるということと、さらに彼はその究極の資格を拒んだということ。言い換えてみれば、それは神の領域に手を伸ばそうとした人間である慎導篤志の息子・慎導灼は真に神になり得る可能性を秘めていたということ。だがしかし、彼は父親とは違った。彼は人間として生きることを選択し、慎導灼としての正義を追い求めていった。
そして、その結果の一つとして、シビュラシステムは常守朱の釈放という解を提示した。それはまさしく、彼女や彼が自ら信じて、切り開いた正義の在り方が、社会や神の意思として受け入れられたということ。そして、神の領域は人の世に徐々に徐々に近づきつつあり、やがて人間の生き方そのものが人の手に取り戻される未来もそう遠くないのかもしれないということを示しているようにも見えた。
Tags: