「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「千年女優」と「レヴュスタ」2つの演じて魅せるメタフィクションの比較考察
先日見た「千年女優」のメタフィクションさについて逡巡すると、「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」のワイルドスクリーンバロックの名を冠した独特の世界観や演出が思い当たった。異なる時空や次元を超えて曖昧に重なり合う世界観を持つ2つの作品同士もまた重なり合うのだ。
少女☆歌劇 レヴュースタァライトが交錯させる世界
「観客が舞台少女を求める熱量」をきっかけに、文字通り現実の我々視聴者とスクリーンの向こう側のキャラクターたちが2次元と3次元の間の次元で相互作用し合うことで、キャラクターたちの行動原理が生まれ、物語が展開していく。
また、エンドロール後に「本日、今この時」の文字に続いて、主人公の愛城華恋が新たなオーディションに臨む場面が最後に挿入される。「次の舞台へ」ということを描き続けてきた本作の熱量に感化され、舞台少女のキャラクターのように「私も新しい舞台へ」という思いが芽生え始めた視聴者が、この場面に現れた愛城華恋なのである。
これは2次元と3次元を接続するだけでなく、視聴者とキャラクターをまさに同一の存在にしている。次元も時間も個々の自我や意識さえも超越しているのだ。
千年女優が交錯させる世界
「恋心」をきっかけに、千代子は役者・千代子として演じている役柄と自分の区別が曖昧になる。さらに追い続ける彼への想いのために千代子の心というのはいつまでもあの時の少女のままである。また、これはただ事実を知らなかったというだけではあるが、既に彼が亡くなったことを千代子は知らずに追い続けるというのも、ある意味で千代子は彼のいない現実とは別の世界を生きているように映る。
それに何よりも、立花やカメラマンの井田が千代子が語る記憶の情景の中に入り込んで、その中の登場人物の一人になるという描写の仕方は、劇中において現実と虚構の回想を一つに重ね合わせるものである。
また「千年女優」に特徴的な点について言うと、2次元の劇中の中でメタ的な展開を見せているという部分がある。また、千代子が演じる役の女性の恋心が千代子の恋心と重なるものであり、役の女性たちはあくまでも役柄なのか千代子自身なのか曖昧になる見せ方というのは、視聴者と違って劇中の登場人物たちは役は役と捉えているようであることからしても、3重のメタ構造のように映る。
熱を帯びた感情がセカイを惑わす
以上のように、レヴュスタのように作品を見ている「私自身」まで超越するものではないが、時間や現実と虚構を超えた世界観を展開するところに「ワイルドスクリーンバロック」的なものを感じる。そして、共に演じる女性をテーマにしているという要素も見過ごせないものである。
さらに「レヴュスタ」は私と彼女たちが同じであるという錯覚はあくまでフィクション体験的な感覚に即したものであるが、「千年女優」で千代子が恋心に酩酊して少女心を抱き続けたり、恋した男がまだ生きてると思い続けたりするのは思い込みのような心理的で認知的な齟齬のようで、その感覚に共感できる現実性がある。
Tags: