「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「ルミナスウィッチーズ」─歌で、世界も想いも繋ぐ─ 感想と考察
「人と人との繋がりこそが力をくれる」ということを深く深く感じた。そして、1話から12話までのエピソードが一繋ぎに繋がった時、ルミナスウィッチーズたちの成長と旅路がいっそう輝きを放っていた。
同じ空の下、どこまでも越えて繋がる想い
この物語は常に「遠い距離を越えて繋がる想い」を描いていた。特にセンチメンタルだった第7話「太陽の理由」。たとえ遠く離れていても、同じ空の下で一緒なことに変わりはなくて、思いだってきっと届くと教えてくれた。
ストライクウィッチーズ第6話をなぞるような演出や台詞を束ねた先にラストの欧州にいるサーニャたちの場面に繋がるところには、まさにストパン6話のサブタイトル「いっしょだよ」ってことを強く感じて涙も嗚咽も抑えきれなかった。それに作品を越えて繋がる想いとすら捉えられて、溢れる感情が本当に抑えきれなかった。
想いは心の壁だって越えて繋がる
それに、越えるのは距離だけじゃない。厚い心の壁だって越えていける。第6話「夢色コントレイル」は、飛びたいけど上手く飛べない悔しさで殻の中に閉ざしてしまったマリアの心をマナが勢いよく開け放って、二人の想いが繋がっていく様子を描いていた。
飛びたいけど、飛べない。そんなマリアをマナが空へ、高みへ連れて行ってくれた。マリアのうじうじした心の内なんか介さずに、マナはやりたいことをやりたいままにマリアの手を引いて、空へ連れていく。
「マリアが下手っぴなのは知ってるよ。だけど、マナといれば大丈夫だよ。」
マリアが自分自身で決めてしまった壁をマナが導いてくれて、手を引かれながら一緒に乗り越えていく姿が美しくて、強かった。
想いはすべてを繋いでいる
第12話「みんなの世界 (そして) Flying Skyhigh」は、物理的な距離も心の距離よりも遠い、去ってしまった者との距離や失ってしまった過去との距離も繋いでいた。
「もう私にはモフィの羽根は見えないけど、なんだかとってもあったかい」 もうここでダメだった……。息ができなくなりそうなくらい泣いてしまう。
そう、だからなくなってしまったわけじゃない。ジニーとモフィの絆も、ジニーがウィッチとして歌ってきたことも。
歌で繋いだ世界
ネウロイの支配下で廃墟と化してしまったガリアの街もなくなったわけじゃない。お客さんが見えなくてもいないわけじゃなくて、歌声を空の向こうまで届ければ、ちゃんとそこにいる。
ルミナスウィッチーズが世界を歌い回って、繋げてきた出会いや絆や想いは、同じ空の下で一つに繋がっている。そして、それがみんなの希望や力になって、ネウロイみたいな大きな苦難や日々の小さい苦難を乗り越えていける。
歌や音楽に込められたたくさんの繋がりを感じた。歌い奏でてきたルミナスウィッチーズの姿。彼女たちの歌を聴いた人たちとの出会いや関わり。歌そのものに込められたルミナスの想いや願い。心が一度に受け止めきれないくらいたくさんのものをルミナスウィッチーズから貰えた。
戦わないウィッチでも歌と音楽で世界を救える
「戦闘不適合者」と言われた9人が出会い、繋がり、多くの人を巻き込んで、ガリア解放記念式典という舞台まで来た。彼女たちが直接この戦果をもたらしたわけではないけれど、人類が一つになって果たしたこの勝利の祝福に、世界中を繋いできたルミナスがふさわしいことに違いはない。
戦わないウィッチでも歌と音楽で世界を救える。そんな夢みたいなことも想いを一つにすれば叶ってしまうし、そんな風に想いを束ねる歌と音楽の力を感じた。
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