「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「ロード・エルメロイ二世 特別編」─大人になれない少年を導く魔術と内省─ 感想と考察
「ウェイバーと同窓会と幻灯機」
見るべき時期の定められた作品というものは少なからずしてあると思うのだけど、2022年の1月10日、人生で20回目の成人の日というのはまさしくこの物語を見るための日であったと思う。
あらすじ
ある日、時計塔の同窓会の報せがロード・エルメロイII世の許に届くところからこのエピソードは始まる。時計塔での学生時代といえば、情熱だけで空回りしていた自分ばかりが回顧されるロード・エルメロイII世であったが、開催日が近づくある朝、学生だった10年前のウェイバー・ベルベットの姿に戻っていた。
そして同窓会当日、犯人として姿を現したのはかつての学友カミユだった。彼女もまたロード・エルメロイII世のように学生時代の思い出に忘れものを残してしまったまま、なりたい大人になれなかった者だった。
そんな似た者同士の二人だけど、過去に閉じ込められたままのカミユとそれでも今を生きるウェイバーには確かな違いがあった。
そして、ウェイバーを過去に閉じ込めようとするカミユに、グレイはこう言う。「師匠は確かになりたかった大人になれなかったかもしれません、でも師匠はこれからだってなりたい自分になれるんです、なるために足掻いているんです。」
そう諭されたカミユは、過去の自分と決別し、手に入らなかったものを集めるために今へ未来へと進みだす。
大人になれないピーターパンの内省
晴れて成人式を迎えたばかりの今の自分の頭を満たすのは、高卒で働いて家族を持って立派な大人になった旧友への憧憬と一方で学生のまま大人になりたくないということばかり。カミユやウェイバーのように子どもの頃や学生時代に未練があるわけではないけれど、漠然としたもう後戻りできないような現実を前に恐怖している。だからカミユの虚しい後悔や思い出への寂寥感が滲み入る。
複雑なこの不安感を構成する要素の一つに、社会でやっていける自信の欠如を自覚している。時計塔で学ぶ魔術師のようにそう悪くない未来が見えている学生のはずだけど、だからこそ、魔術回路を失って時計塔を追い出されたカミユのように今までの努力が水泡に帰してしまう可能性が怖い。ただ要は、時計塔でも名家出身の魔術師のように尊大なプライドばかり抱えた小物なのだ。
だから、グレイの「師匠は確かになりたかった大人になれなかったかもしれません、でも師匠はこれからだってなりたい自分になれるんです、なるために足掻いているんです。」という台詞が響く。優秀な魔術師ではないロード・エルメロイII世だけど、今は優秀な講師となって、そしてなお魔術師として大成することを目指している。そんな姿に感化されたカミユのように自分も一歩踏み出してもいいのかななんて背中を押されたような気になった。
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