「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「鬼滅の刃 無限列車編」 感想と考察
良くも悪くも手に汗を握らされる展開
下弦の壱の鬼のギミックを念入りに張り巡らせた戦闘は、あっけなく事果てたかと思ったら想像を越えていく戦い方を仕組んでいて、悪い意味でドキドキさせられつつもそれが楽しかった。
そういう意味では、無限列車編が無限列車だけで終わらなかった展開も想像と期待を越えていくもので、先の読めないような展開にわくわくさせられっぱなしだった。
それに下弦の壱の鬼が所詮は上弦の参の鬼の前座に過ぎなかったり、上弦の参の鬼は煉獄杏寿郎を殺して逃走したのも決して後味悪いものではないしとてもおもしろかったけど、振り返ってみると何なんだこれ…みたいな印象がやっぱりある。
圧倒的な鬼の強さと未熟な剣士の噛み締める悔しさ
上弦の参の鬼の戦いぶりからは、ただ殺すためではなくて戦いに楽しさを追求してる戦闘狂さが溢れていてある意味で痛快だった。
また、お前も強いからこそ鬼になれとか鬼にならないと死んでしまうぞと煉獄杏寿郎にかけた台詞は、杏寿郎に突き返された一方通行なものではあったが、戦いの中で生まれる友情のようなものを感じてアツかった。それに上弦の参の鬼が単に鬼狩りではなく「杏寿郎」と呼んでいたのも戦いの相手として認めているようなリスペクトを抱いているような印象があった。
それと同時に、鬼にならないと死んでしまうぞという台詞からは鬼という存在そのものの人に対する優位性を絶望を以て感じた。また、上弦の参の鬼が太陽を嫌って逃げていく場面での、お前らからじゃなく太陽から逃げているんだという捨て台詞には負け惜しみだけでなく、太陽以外には負けないという根本的な強さを感じさせられた。
それでも炭治郎が上弦の参の鬼に訴えた「鬼狩りは弱い人間の身で鬼に有利な夜に戦っているんだ」という叫びは自分が何もできなかった悔しさが詰まっていて胸を打たれた。そして無限列車編は悲壮な結末に終わったが、この悔しさを原動力に炭治郎たちが新たな壁を越えていく期待感もまた募った。
???
炭治郎が夢に侵入するための縄を日輪刀で切るとマズそうと直感して禰豆子に焼かせた詳しい部分は結局回収されなくて気になるところだったけれど、禰豆子の血は鬼に対して強いみたいな性質があるのかなとか思ったりした。
この煉獄の赫き炎刀をIMAXで体感せよ‼
IMAXレーザー/GTテクノロジーシアターで見ました。 とにかくスクリーンの大きさにびびった。(19×26m)
どの席からも間接視野なしではスクリーンを一目に収めることができなさそうなスクリーンサイズで流石に大きすぎではと思ったけど、間接視野まで埋め尽くしてくれるスクリーンはむしろ没入感満点だったし、音響もとても良かった。とはいっても、そもそもあのスクリーンをいっぱいに使う作品は少ないらしいのだけれど。
映像では、水や雷もだけど特に炎が映える感覚があって、思わず目を見開いてこの鮮やかさを余すとこなく目に収めたくなる衝動に何度もかられた。また、炭治郎の背後にTVの砂嵐のような背景が広がる場面があったが、その砂嵐状の背景のきめ細かさみたいなものも際立っているように感じた。
とは言っても、見比べをしたわけでもないのでIMAXレーザーGTじゃなくても同様の映像美を体感できるのかもしれないが、少なくともあの超大スクリーンの圧倒感と没入感はIMAXレーザーGTシアターでしか体感できないものなので大満足でした。
Tags: