「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「ジョゼと虎と魚たち」─人魚姫と地上の楽園、あるいは現実郷─ 感想と考察
これは貝に閉じこもっていた人魚姫が、地上という楽園、そして奈落を知り、成長していく物語
水面の上で輝くそれは現実郷
その車椅子に、その足に縛り付けられていたジョゼは恒夫に背中を押されて、伸ばすその腕に手を添えられて輝き溢れる外の世界を知った。だけど、そこは現実郷であり、決して理想郷ではなかった。
そして、ジョゼ自身がまた恒夫を夢から遠ざけて縛り付ける存在になりつつあることを知る。夢に手の届かないことを誰よりも知るジョゼだからその辛さに耐えかねて、恒夫の好意すら撥ね退けてしまった。
結局、地上の世界でその人魚は一人で歩くことはできず、目の前で交通事故に遭った恒夫にさえ助けの手は届かないという絶望だけが残った。
失楽園、そして
そして、ジョゼは再び閉じこもってしまう。もう海の底の貝のお城から見上げる地上を望むことはなくなり、手を伸ばすことを恐怖し、一切やめてしまった。
そうして再び貝になったジョゼの前に現れた舞は、恒夫をジョゼには渡さないと無様になりふり構わずその想いを宣言する。届かなくたって手を伸ばしてやるというその悲恋に散る舞の姿は、皮肉にか、ジョゼに心の翼を与えた。空の上に輝く海に羽ばたくための翼を。
この後も大いにクライマックスの山は続くのだけれど、ジョゼ視点で捉えると絵本の読み聞かせを除いて描くべきことは終えていて、その読み聞かせも恒夫の物語のクライマックスな部分が大きくて、ジョゼの物語の中では過程を全て経た後の結末でしかないように思う。
悲恋、失恋
また、この物語には恒夫の事故以降に感情を揺さぶる場面がいくつもあるのだけれど、その中でも一番好きなのものに、ジョゼのところへ殴り込んだ舞が恒夫が好き宣言をして恒夫にフラれるまでの場面がある。舞が宣戦布告が如くジョゼに「恒夫が好き宣言」をしてフラれただけではなく、その宣言がジョゼに心境の変化をもたらして、結果的にジョゼが恒夫とくっつくことになったのはあまりにも悲恋すぎて、哀れすぎて、痛ましすぎて…。最近、失恋が好きすぎる。
あとは少し気になるところが冒頭のシーンにあって、車椅子に乗ったジョゼが坂を転がり落ちてきたのをジョゼのおばあちゃんは誰かが押したと言っていたが、実はあれはジョゼ自身がおばあちゃんが目を離した隙に自分で移動しようとして坂の傾斜に車輪を取られてしまったのかなぁとか思ったりした。
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