「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「アイマス U149」─子どもと大人、夢と現実の架け橋─ 感想と考察
ちっちゃな胸には、おっきな夢
「小さくたって、アイドル!」と銘打たれたように、U149の彼女たちはまだまだ小さな子ども。だけど、そのちっちゃな胸に育むのは大人顔負けのおっきい夢なのだ。
だからこそ、彼女たちは成長期真っ盛りの不釣り合いな身体と心のバランスの上にあり、それは彼女たちに現実と夢の狭間における成長痛のような歯がゆい葛藤をもたらすのだと思う。立派な大人なアイドルになりたいという夢に、まだ自分たちが子どもであるという現実が追いつかない。それは彼女たち自身でもひしひしと自覚させられるものであるし、また一方で346プロダクションの大人たちから向けられる視線にもその事実を嫌でも感じさせられてしまう。
でも、U149の彼女たちには、U149だからこそU149という壁を越えていく可能性もあるのだ。彼女たちは成長期真っ盛り。その胸の中で大きく膨らませる夢につれて、その身体もどんどん大きくなっていく。そして、アイドルとしても日ごとに成長し、原石は輝きを増していくのだ。この物語は、そんな小さな彼女たちがアイドルとして、芽を出し、いずれ大輪の花を咲かせるであろう蕾を携えるまでを描いていたように見えていた。
そして、彼女たちのそんな純粋な目で夢を映す姿は、大人が吐き捨てる「夢なんて現実になるわけのない無謀で愚かな理想」という戯言を戒めるようにも映していたように思う。それでも、彼女たちの純粋さと葛藤が描く「夢は現実の延長線」であるという事実は、大人たちにとっても、どこまでも羽ばたいていけそうな翼を与えてくれるようだった。
だから、このU149は、いつでも誰でもシンデレラストーリーの階段を駆けあがっても良いんだと言いたげな物語でもあったように思う。
Under 149cmの夢々
第2話「おでかけなのにただいまをするもの、なに?」
「一人は寂しいでごぜーますよ…」と着ぐるみを纏うのが、市原仁奈だった。
そんな彼女は、いつも一緒でお気に入りなニワトリの着ぐるみを失くしてしまった。それはみんなと一緒じゃないと不安な心の発露のようだった。なぜなら、仁奈にとって着ぐるみは、お仕事が忙しくて一緒に居られないパパママの代わりに、みんなが一緒にいてくれるためのもの。だから、着ぐるみが仁奈を一人じゃなくしてくれる、と仁奈は思っていた。
そんな着ぐるみの子として街の人達に知られている仁奈だけど、その着ぐるみを失くして探す中では着ぐるみは付けていない。そんなまっさらな仁奈は仁奈のままで、みんなを笑顔にできる元気の輝きを放っていた。
きっと、アイドルもその先にある。海外にいるパパのところまで、仁奈の元気を伝えるすげーアイドルになりたい!それこそが仁奈が新たに纏うものなのかもしれないように見えていた。
第3話「海に沈んでもぬれないもの、なに? 」
どんな時も天然でアイドルをしてしまうのが、赤城みりあだった。いつでも心からの愛嬌を振りまいて、トラブルの前でもきょとんとした表情を浮かべながらポジティブ笑顔な彼女は、アイドルになるべくして生まれてきたような存在のように見えていた。
そんな意図せずとも計算ずくなように映る、本能でアイドルを振る舞っているような彼女だけど、事務所の先輩アイドルとの佐藤心の意図しないネット配信に巻き込まれてしまう。ずっと夢見ていたファンとの直接で双方向なふれあいに心躍らせるみりあだったけれど、コメント欄には徐々にチクチクとみりあを刺すアンチコメントが流れ始める。プロアイドルな佐藤心も、異様な盛り上がりが惜しくて引くに引けずに墓穴を掘る始末。
だけど、そこでみりあは空っとした笑顔で悪意も何もかも全て受け流してしまう。そんな姿に、やっぱり彼女は素でアイドルなんだと思わされたけれど、みりあが語るのは「とっても怖かった」という意外な本心だった。だから、「ファンと一緒に楽しくなりたいから」という一心で、いざファンの前に立つのが怖くなっても、笑顔を振りまけるという彼女の姿こそ、あまりにも「アイドル」であると感服させられた。
第4話「羽が折れているのに飛んでいくもの、なに?」
ありのままの自分と求められる自分の狭間で迷うのが、櫻井桃華だった。大人な桃華はアイドルとして、ファンの期待に沿った振る舞いの中に、つい自分を押し込めてしまう。
だけど、Pの「大人でもバンジーは怖い」という言葉が彼女にありのままでも良いと教えてくれて、ありすの「櫻井さんからきっと大丈夫です」という言葉が素の彼女に自信を持たせてくれたようで。子どもらしくない彼女だけの魅力がやっぱり一番だと気づかせてくれる回だった。
第5話「すごく高いのにずっと地下にあるもの、なに?」
思い描く自分の理想像は妥協しない、それが的場梨沙だった。よく言えば常に全力、悪く言えばプライドが高くて意固地でもある。
だから、彼女は他人に素直に弱さを見せられないし、燃え尽きて挫けそうにもなってしまう。でも、そんな梨沙を信じて応援してくれる人がいる。プロデューサーや第3芸能課のみんなが応援で、的場梨沙は全力で走り続けられる。そんな自分に決して妥協しない強さと弱さが印象的で、でもどんな自分も乗り越えていける的場梨沙がとても魅力的な回だった。
第6話「暑くなればなるほどかけるもの、なに?」
そもそもまだ「アイドルって何がおもしろいの?」というとこにいるのが、結城晴だった。彼女は何か輝かしいステージを夢見ているわけでもなく、むしろフェミニンな衣装を着なければいけないことを疎ましくも思っていた。
だけど、Pに教えられたアイドルの良さ。彼女が熱を注ぐサッカーと同じ「一体感の中でプレイする昂り」に魅せられる。そして、結城晴は今度はバックではなく、自分がメインのステージという新たな夢を見つけた。そんな知らなかった世界だからこそ、そこに見る夢へのワクワクもひときわ弾けるようだった。
第7話「声を持たないのに語るもの、なに?」
漠然とお姫様になりたいというのが、古賀小春だった。原点にあったのは、一人不安な自分を見つけてくれたイグアナのヒョウくんだった。
小春がなりたいのは、優しくて温かくてみんなを幸せにできるお姫様。今度は自分が誰かを見つけてあげたいと願う。そんな彼女が目指すアイドルは、手の届かないトップアイドルではなく、手と手を触れ合って笑顔をくれるアイドルなのかもしれない。
第8話「綺麗になるためにはくもの、なに?」
自分に自信を持てなくて不安で、だから一歩踏み出せないのが、佐々木千枝だった。誰かに頼られると嬉しいという思いは確かにあるけれど、でもだからこそ、何かに飛び込む勇気へのハードルを高く感じてしまうのが彼女なのかもしれない。
だけど、そんな千枝に、不安で震えていても笑ってステージに立たなくちゃいけないからと気丈に振る舞う姿を桐生つかさは教えてくれた。それはきっと、100%の自信がなくても良いということのように思えた。
まだちっちゃなアイドルの千枝だけど、それでも彼女はみんなと笑ってアイドルがしたいと一歩踏み出す勇気を見つけられたんだと思う。
第9話「あったかいと顔がほころぶもの、なに?」
みんなを笑顔にするパワーがあるのが、龍崎薫だった。それは周りのみんなも巻き込む力になって、大きな困難も乗り越えられる。BBQで苦手なピーマンが食べられなくて、でもプロデューサーに応援してもらえたら…と頼んでみたら食べられたという一幕は、微笑ましい光景でありながらも、まさにその象徴だったように思う。
なかなか大きな舞台に立てない第三芸能課だけど、「みんな、大丈夫!」という薫の言葉がみんなを笑顔にしてくれて、不安も吹き飛ばし、次の一歩への力になる。その証拠に、彼女たちの次の一歩は飛躍のものになりそうな予感がしていた。
大人と子ども、夢と現実を架ける橋
第10話「重ねれば重ねるほど大きくなる色って、なに?」
第三芸能課のみんなのステージに立ちたいという思いと、「現実を…仕事を…」という部長の姿は、隔絶された対立項のように映った。
だけど、現実と夢は必ずしも反発し合うものではないと思う。「みんなに期待されては、頑張らないわけにはいきませんわね」という櫻井桃華の一言が、まさにそれを示していたように見えていた。そして、第三芸能課のみんなは手づくりのステージを作り上げて、ネット配信のライブを行った。彼女たちは『夢が先立つことで、現実をそこまで連れて行ってくれる』ということを見せてくれた。
たとえ小さな夢でも、夢を願うからこそ、現実と大きなステージまでの距離は少しずつ縮まっていく。そして、その道筋を描くのが、小さな彼女たちの仕事である「アイドル」なのだと思う。
第11話「大人と子供の違いって、なに?」
夢の思案中
第三芸能課のみんなが各々の夢を書き綴ったホワイトボードに、「思案中です」と一人書いていたのが橘ありすだった。その姿は、夢を見ることを恐れているように見えていた。
アンビバレンスな孤独
そんなありすの中には、二つのずっと思いがあった。それは「大人らしくちゃんと現実を見なきゃいけない」という思いと、「子どもっぽいかもしれないけれど、アイドルになりたい」という思い。大人になりたい子どもとして、ありすはどちらかを選ばなければいけないとアンビバレンスな内で悩んでいた。
だから、ありすは大人でもなければ、子どもでもないのだ。そして、そのどちらにもなれずにその狭間をふわふわと漂う。それ故に、ありすは子どもな第三芸能課のみんなにも相談できないし、プロデューサーや親といった大人にも相談できずにいたのだと思う。
大人でも、子どもでもない私
心の中で「大人と子どもの違いってなーに?」とありすは問う。それは、どっちつかずの自分がいったい何者なのか、「大人になりたい」けど、「子どもっぽく夢を見たい」という私は何なのか?はたまた、そんなことが許されるのか?という疑問の表れだったように見えた。そして、それに答えを与えるのならば、子どもから大人へ羽化しようとする「思春期」そのものであるというように思う。
夢は現実の延長線
そんなありすに、良い意味で子どもみたいな大人のプロデューサーが向き合ってくれた。大人と子どもの狭間でどうしようなく孤独で、夢と現実の間で迷っているありすに、そのどちらでも良いと教えてくれた。大人でありながら、子どもでも良いんだと。
大人も子どもも同じで、大人だって子どもみたいに夢を見ていいし、それを叶える姿は間違いなく大人である。そして、アイドルは夢をお仕事として叶える究極の存在で、それこそありすがなりたい大人で子どもらしい姿なんだと導いてくれた。
第12話「明るい時は見えなくて、眠る時に見えるもの、なに?」
夢を見せてくれるものたち
会長の鶴の一声で決まった、U149のサマーライブ出演。でも、それは決して職権に物を言わせただとか、結局は大人の力学だったとかそういうものではないと思う。会長が示しているのは、ありすのパパやママと同じように、「みんなの夢を影から応援してるくれる大人」であり、そしてプロデューサーのように「みんなの夢が夢な大人」なんだと思う。
そして、そこから一気に動き出す現場。ドームのステージという大きな夢に向かって、練習に励むU149のみんなも、調整に奔走するプロダクションの大人たちも、その姿は光る汗を散らしながら最高に輝いていた。決してスマートじゃないかもしれないけれど、がむしゃらにみんなが夢へと駆けていく光景は、どこまでもクールでカッコよくて、見ている人にも夢へ駆けるパワーをくれるものだった。
無限の空に広がる夢
そんな夏のステージで披露する歌は、U149のみんなの夢を歌詞に込めることになった。特に、ありすは込めたのは「夢を見るのに、早すぎるも遅すぎるもない」という言葉。大人でも子どもでも、夢を願った時こそが夢を見て走り出す時という思いは、まさに「アイドル」という一つのシンボルに全力を注いで関わっている全ての人を表していたように思う。
そして、ステージは終わり、小さな彼女たちの大きな夢は一つ叶った。やりきったという達成感と充足感に満ちた夜。だけど、U149のみんなが上り始めた階段はまだ終わっていない。
だから、「夢を見るのに、早すぎるも遅すぎるもない」というように、みんなの夢はまだまだ続くし、もっともっと大きく膨らんでいく。さらに、その無限に広がった夢はU149に新たな仲間を誘った。それが暗示するのは、この物語を通して、その夢がぼくらのところまで広がってきたということ。ぼくらにもその夢の階段を駆け上がれ!と言いたげに見えていた。なぜなら、早すぎるも遅すぎるもなく、願ったその時こそが夢を見る時だから。
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