「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「ガンダム 水星の魔女」─同じ宙の下、共に祝福される道─ 感想と考察
「水星の魔女」が示した現代の革命
この水星の魔女は「理想だけではなく現実を受け止めながら、当事者として世界に関わっていけるように…」というニカやスレッタを中心とした軸と、「共に手を取り合うことでこそ、祝福や平和を得られる」という登場人物全員を巻き込んでいた軸があったように思う。その軸は12話をきっかけに明確に映し出されるようになり、16話まではそれが並行して描かれ、17話から19話で前者の解決が、20話から24話で後者の解決が描かれていたように見えていた。
ここでは、特に「共に手を取り合うことでこそ、祝福や平和を得られる」というこの物語の哲学に焦点を当てたい。それにより、物語のフィナーレに織り込まれたメッセージを咀嚼し、この『水星の魔女』は決して「革命が成されなかった、現実の秩序を変えることができなかった」というわけではないということを示したい。
そもそものことを言えば、今の子どもたちにとっては、抵抗・反逆の革命こそが、それを上書きする革命によって乗り越えるべきものなのだ。大人たちが取り戻そうとする時代は生まれる前のことであり、今の子どもたちは終わらない力の衝突と報われない抵抗の世界しか知らないのだ。そして、彼らにとって、敵を敵と憎む理由には大人がそう言っていたから以上のものはなく、本来的に敵に憎しみを向ける理由がないのだ。それどころか、むしろこの閉塞した世界を継続させる大人こそが敵であり、大人たちから敵と教えられた人々こそが仲間でありさえもするのだ。
だからこそ、彼ら彼女らは暴力的な破壊の革命を目論む大人たちを否定して、むしろ思想や背景は異なるものの同じ弱者である者同士で手を取り合うのだ。そして、子どもたちは「敵は仲間で、仲間は敵」というアンチテーゼを突きつけることで、既成のアイデンティティや価値観を打ち倒すという革命を成していたのだということを証明したい。
#14「彼女たちのネガイ」
オープンキャンパス襲撃で、宙の楽園は失われた。人の死なない決闘場は命を奪い合う戦場と化し、日常は容易に帰らぬものとなる。そんな現実を突きつけるソフィとノレアが望んでいたものが、まさにその失われていく日常だった。
地球の彼女たちとスレッタたちが見ている世界は何もかも違う。地球で何もない彼女たちは、スレッタたちが「そんなもの」と言い纏める日常を命懸けで追い求めている。一方で、スレッタは何もかもを与えられて、ガンダムが暴力装置であることも、戦えば人が死ぬことにも気付けない。
#20「望みの果て」
そんな世界観の違いのすれ違いと衝突の中で、アーシアンもスペーシアンも失って失い続けていて、でもまた取り戻さなくちゃいけなくて。その中で、彼らはまたすれ違うことを恐れて忌避した結果、ちゃんと取り戻せなくて、力で奪い返そうとしてしまって。結局、それで取り戻せるものは、さらなる喪失でしかない。
アーシアンもスペーシアンもお互いの世界に引きこもったまま。失ったものは奪い返そうとしても、戻ってこないし、失われた命の分を奪い返そうとしても、また命が失われるばかりで、負の連鎖に縛られているのだ。
#21「今、できることを」
だけど、理想の前にそんな現実の壁が立ちはだかっているからこそ、誰もが手段を選ばないし選べないのだ。その結果、シャディクもミオリネもみんな同じ罪を背負った共犯者になるしかない。そうやって善も悪も全てがんじがらめになった中では、ただ憎しみだけが増幅して、ただただ命が失われていく。
そんな世界では、ベルメリアの言うように、もう何が正解なのか分からない。理想を叶えるための、誰も犠牲にしない結末に辿り着くための道がどこにあるのか見失ってしまう。だから、せめてもうこれ以上の破滅を導かないために、ベルメリアのように立ち止まることしかできなくなってしまうのだ。
それでもスレッタは進む。一つも二つもない、何も手に入らないかもしれないけれど、ただ今できることを成すために、再びガンダムに乗る。その原動力はきっと、一人じゃないと知ったから。学園が蹂躙された跡の中で、スレッタは死んだ人ばかりじゃない、まだ生きている人がいると知った。全てバラバラになった世界でまだ、同じ様に理想を目指せる仲間がいると。そうやって、空っぽになりかけていた心が満たされて、彼らと一緒ならとまた頑張れる、また進み出せるのだ。
#23「譲れない優しさ」
それに、グエルとラウダが示すように、全て一人で背負って独り善がりに罪を償おうとすることこそが根源的な罪なのだ。それは、スレッタを一人残して、自身とエリクトだけで家族の問題を解決しようとするプロスペラも違わない。でも、家族のことなんだから、スレッタもやがて同じ家族になるミオリネも、共に同じ罪を背負いながら前に進めば良いじゃない!というのが、迷いの先に光を見つけたミオリネの答え。そして、それこそが愛なんだと思う。
#24「目一杯の祝福を君に」
そんな喧騒の中で、「一人じゃダメだから」ということを象徴するように、スレッタはエリクトと共にプラスペラやミオリネのもとへ舞い降りる。進むなら一緒じゃなきゃ。
それでもなお、プロスペラは受け入れられない。最初の自分の計画通りにエアリアルをクワイエットゼロに還そうとする、自らの許すことのできない罪を自らの身で背負おうとする。そして、お互いがそれぞれの場所で幸せになる結末を導こうとする。
でも、それは違う。全員一緒じゃなければ、それは幸せにならない。それぞれだけの幸せを得ようとした果てに更なる悲劇を引き起こしてきた過去と、ようやくみんなで一つに団結できようという今が、そんな未来を否定する。
だから、ミオリネが返す答えは、ベネリット社を解体して、奪ってきたものを地球へ返すという選択。同じ宙の下で、宇宙も地球も、スペーシアンもアーシアンも一つになる。それぞれ異なる正義の下で間違ってしまった過去がある中で、そこには異なる憎しみと罪悪感の詰まっている。だから、一様に過去を打ち消すことはできない。だから、それぞれ改めて同じ方向向いて、未来の中でそれを上書きするしかないのだと思う。
もちろん、誰もが同じ正義を持てるなんて言わないし、一つになれた今というのも永遠のものではない。だから、3年の時を経た中で、再び宇宙が地球を搾取するという構造は徐々に繰り返されつつある。でも、だからこそ、みんなと共に今できることを未来に向けて成していかなければならない。それが奪い合って失って、出会いと離別を繰り返し、そしてまた家族の絆を取り戻した彼ら彼女らの結論なんだと思う。
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