「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「アークナイツ 2期 冬隠帰路」─アーミヤとチェンの正義、その意味とは─ 感想と考察 9~13話
第9話「序歌 Conspiracy」
チェルノボーグでの戦いにて、ミーシャを自らの手で殺せなかったことは、アーミヤの心に「自分は誰も救えない」という傷を残していた。そして、あの時ミーシャに手を下すことができたチェンと対比して、アーミヤは自分の正義はただ怒りや憎しみに動かされるままのものでしかなく、そこに確固たる覚悟がないと感じさせられてしまっていた。
だけど、そんなアーミヤを見かねたドクターが肯定の言葉をくれた。そして、彼からの「アーミヤの迷いは色々なものを背負っているからだ」という言葉に、アーミヤも「自分なりの正義のやり方も間違っていなかった」と思えているように見えていた。
そんなアーミヤの「チェンさんも私と同じなのかもしれない」という呟きは、彼女にとって正義の執行者としてあるべき姿を体現しているチェンも、自分と同じで迷いをどこかに抱えているのかもしれないという共感でもあった。そして、それは徹頭徹尾に完璧な正義だけが正しい正義というアーミヤの捉え方を変えるものであり、アーミヤの大事にしてきた優しい正義も立派な正義のあり方と確認するもののようでもあった。
だからこそ、新たに浮上した移動都市で消息を絶った潜入部隊の援護任務にも、アーミヤは「ロドスは仲間を絶対見捨てない」という相変わらずの信念のもとに乗り込んだのだと思う。ただし、今までと違うのは、チェルノボーグに関わる葛藤を経た今のアーミヤは、その信念に対して優しさだけじゃなくて、自分の正義を強く信じる強固さも備わっていた。
第10話「変局 Peril」
レユニオンのスノーデビル、フロストノヴァの襲撃は圧倒的だった。その中でフロストリーフは負傷して動けず……、だけど彼女は仲間たちのために一人で敵を食い止めようする。
そんな姿はまさに「仲間のために…」というロドスの信念の現れであり、だからこそアーミヤは「仲間は見捨てない…!」とフロストノヴァ相手に食い下がる。
それに対して、フロストノヴァもアーミヤのとこを「戦士の目をしている」と敵ながら讃えていた。そして、そうやってアーミヤの実力と信念を認めたからこそ、フロストノヴァも手加減抜きにアーツによる攻勢を強めたように見えていた。それは、「仲間を守る代わりに、お前は死ねるか?」と言いたげなように思えるものでもあったし、事実アーミヤたちは徐々にフロストノヴァの氷結攻撃に遅れを取り始めていた。
だけど、そんな時にアーミヤの仲間を想う信念の真の強さが目覚めた。一時はフロストノヴァの攻撃をまともに食らってダウンしていたフロストリーフが、フロストノヴァのアーツを乱し、アーミヤたちは窮地を脱することができた。そんな風に仲間を結束させる強さというのが、アーミヤの掲げる「仲間を見捨てない」という信念の本質であると感じさせられるフロストノヴァとの一戦だった。
第11話「呼応 Conceal」
近衛局のチェンたちはとある一報を受け、アーミヤたちを残しながらも撤退することに。そんな去り際をロドスの隊員に、所詮は余所者かと嫌味を付けられてしまうチェンだった。
さらにその後、チェンは諜報員のファーがレユニオンの襲撃を受けているという通信を得るが、すぐ傍でそれを聞くホシグマにとっては、目を掛けていたファーが自分の知らぬところで危険な諜報員に任じられていたことには怒りしかなく、隊長といえどもチェンを責め立てずにはいられなかった。
この二つの場面から浮き彫りになるのは、チェンはあくまでも近衛局の隊長の立場として、時にリアリズムを伴う決断を下さなければいけないということ。そのためには、時に協定を結んだアーミヤたちを戦場に置いていかなければいけないし、部下を危険な任務に送り出さなければいけないこともある。
そんな葛藤を抱える中で、チェンとホシグマは太古プラザの奪還へ向かう。そこで共闘する二人だったが、レユニオンの捨て身の道連れ攻撃によって瓦礫の下敷きになりかけたチェンを、ギリギリのところでホシグマがその瓦礫を支える格好に。もう保たないというところで、ホシグマは「隊長だけは行ってください」と言うけれど、こんな時に限ってチェンは「お前を見捨てられない」と言う。
散々と隊長という立場に沿った、現実的な決断を下してきたチェンだったけれど、その内心では「これでいいのか…」というアンビバレントな感情もあった。だから、チェンは「アーミヤたちにしたようなことを二度もしたくはない」と言って、むしろ自分を守るために負傷したホシグマに代わり、一人単独でレユニオンを迎え撃つことを選んだのだと思う。
そして、そんなチェンは決して隊長であることを放棄したわけでもないように思う。それまでのチェンが隊長という立場に基づいた合理的な判断を下していたのならば、今のチェンは隊長というスピリットに基づいた仲間を守るための決断を下していたように感じさせていた。
第12話「未決 Salvation」
近衛局ビル奪還作戦、立ちはだかるのはレユニオンの指揮官・メフィスト。彼の能力はレユニオン兵士を死なないゾンビのように操るもので、まるで部下を人として扱わない戦い方はそれだけ強固でもあった。
そこに単身で挑むチェンはというのは、そんな非道な戦いを本心では望まないだけにか、メフィスト相手にも苦戦を強いられる。手段を選ばない悪が正義を上回ろうという光景には、歯ぎするようなもどかしさと理不尽さがあった。でも、だからこそチェンも手段を選ばず、自らの命を削る赤霄の剣を抜こうとしたのだと思う。
しかし、そんな間際にロドスが駆け付け、アーミヤは「生きて成すべきことがあります!」と言って、チェンにその諸刃の剣を抜かせないための支援攻撃を加える。そして、一気に劣勢に立たされたメフィストはファウストに率いられて撤退。ロドスと近衛局にとっては敵を取り逃がしたものの、作戦成功を掴むこととなった。
そして、それはまさに正義の勝利を意味するものでもあったと思う。レユニオンの部下の命も顧みずに駒として扱うメフィストの強靭さに対し、チェンはあくまでも自らの犠牲で挑むという誠意を見せた。さらに、そこにアーミヤたちという別組織ながらも協定を結んだ仲間の援護で打倒した。こんか荒んだ世界でも、正義がまだ肯定される余地があるという光景には、希望すら見えてくるようだった。
第13話「追憶 Resign」
ブレイズの「私たちはどれだけ信頼し合えるんだろうね」という言葉に込められた、ロドスと近衛局の協定への半ば疑問符のような言葉には、単純にはいかない世界を憂いているように聞こえるものだった。そして、さらに現状を作り出している価値観が、この先も続いていくとは限らない不安定さのことも指し示しているように聞こえていたし、まさにそれが表出するエピソードが展開されていった。
なんとかロドスと近衛局を振り切って撤退することができたファウストとメフィストたち。ファウストはなんとか逃げ出すことができたという安堵のような感覚すらあったが、一方でメフィストは悔しさと憎悪を募らせて、アーツでレユニオンの兵士をゾンビ化させていく始末。
メフィストは「それを僕らのためだ!」と言うけれど、ファウストにはそんなこと認められない。ファウストが望むのは結局のところ、ただの善良な平和なのだ。
かといって、メフィストが望むのもまた平和、平穏なことに違いはないことも事実。だがしかし、メフィストにとっての平穏というのは自分やファウストだけのとても狭い領域の話で、そこにレユニオンの兵士たちは含まれない。本当に身近な世界以外は信頼することのできない「か弱さ」が、メフィストをそんな暴虐へと駆り立てていたのだ。まさにここにあるのは、価値観の裏返し。
そして、戦場では新たな刺客も現れる。民間人も構わずに感染者を殺戮して回る黒装束の一味の正体というのは、リンの率いる近衛局の特殊部隊。チェンのような正義の体現者がいれば、そんな冷酷にも悪辣さを極めた正義の執行者もいる近衛局の一面は、正義の価値観を問うているようにも見えていた。
そんな中でメフィストとファウストたちは遂に追い詰められてしまう。ファウストはメフィストと数人のレユニオン兵士を生き残らせるために、自らの命を削ってアーツで転移させ、一人戦場に残る。そんな仲間想いの姿には一点の悪もなく、ただの心優しい人でしかなかった。そして、最後に近衛局の兵士から数多の矢に射られようというファウストの姿は、ただただ弱々しい存在にしか見えなかった。
強者が弱者として映し出され、正義が悪として、悪は正義として描写された顛末には、この荒廃した世界で誰の正義を信じればいいのかと思わせられるものだった。
Tags: