「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「青ブタ ランドセルガール」─子どものケジメ、大人になる意味─ 感想と考察
この物語は、咲太が幸せを作る決意の象徴であり、そのための思春期から大人になる一幕なんだと思う。
親子の空白と兄妹の独り立ち
思春期症候群に包まれた不思議な一年も一区切りが付く時が訪れていた。だけど、そんな咲太の前に現れたのは、小学生姿の麻衣さん。それは新たな思春期症候群の予兆を知らせるようでもあり、そんなタイミングで母さんが花楓に会いたがっているという父からの連絡も差し込んで来た。
もちろん、花楓も「会いたい…!」と答え、二人は久しぶりの再会をすることになった。しかし、そうは言ったものの花楓の中には一つの不安もあった。それは「自分のせいでお母さんが体調を崩してしまった」と自分を責める思いと母からどう思われているのか…という心配。そんな花楓を「大丈夫だよ」と勇気付ける咲太はいつものお兄ちゃんらしい姿だったけれど、咲太にとっても久しぶりの母との再会にしては、咲太の気持ちの抑揚はどこか蛋白に思えないこともなかった。
そして、妹と母の再会。それは事前の心配とは裏腹に、一気に張り詰めていた緊張や二年間の空白を溶かすような瞬間だった。さらに、この再会、特に花楓が一人で父母の暮らす家に泊まるということは、さらなる彼女の独り立ちとして印象付けられるものに感じられた。
親子の関係をあるべき形に正すということは、子としての役目にケジメを付けるようでもあり、だからこそ、それは子が大人になりゆく過程の一つとして位置付けられるのかもしれない。
親としての役割、子としての役割
でも、そこで浮き彫りになるのは、咲太の空白。ある意味で花楓の親のような役割を果たしてきた兄は、本来の親との関係をあるべき形に正す間もなく、一足飛びに大人になってしまっていた。それは思春期における一つの捻れであり、それが咲太が誰からも認識されなくなるという新たな思春期症候群を引き起こしていたように見えていた。
それに、何よりも何か手がかりを求めて、横浜の父母の家を訪れた際に、あっという間に二年の時を取り戻して仲睦まじく歩き話す花楓と母に認識されない咲太というのは、まさしく彼だけが家族の中から取り残されてしまったことを決定付けるようだった。そして、それは背伸びばっかりしてきたばかりに子にもなれない咲太という存在をありありと示しているようで、居た堪れなさの耐えなかった。
そして、その父母の家で咲太は母の日記を見つける。そこにあるのは「花楓」の名前ばかり。それは、母の心から咲太の存在が欠落していたこと。そして、同時に咲太の心からも母の存在が見落とされていたことを無視できない程に咲太の心に突きつけていた。
もちろん、咲太は花楓の親代わりのようにしてここまで頑張ってきた。それは正しい。でも、それは母を抜きに家族という幸せを作ってきたということでもあった。だから、その代償が今回支払われているのだと思う。
幸せを作るということ
そして、そんな咲太の前に再び小学生の麻衣さんが現れて、咲太をある世界へと導く。
そこは、家族が4人のまま、バラバラにならなかった世界線。つまり、咲太の理想のままの幸せが詰まった世界だった。母という幸せのピースが欠けた世界から、咲太は全てのピースが埋まった世界へと逃げ出していたのだ。
でも、この居心地のの世界は、咲太の理想だからこそ、彼に元の世界に帰らなきゃいけないという決心もさせていた。それは、母のことを直視して向き合うことで、元の世界も幸せの理想の世界にしなければいけないという決意。
そして、咲太のその幸せを作るという決心は、また麻衣さんを引き寄せた。麻衣さんがくれた「いつか二人で、家族になろう」という言葉は、咲太の幸せの決意に応えるもの、咲太に欠けていたものを埋めてくれるものとして聞こえていた。それに、「そういうのを大人になったって言うのよ」という悟しは、花楓に続く咲太の独り立ちを示していたように思う。
その結果が咲太の子としての区切りなんだと思う。だから、それ故の息子・咲太から母への、母としての頑張りへの感謝であったのだと思う。そして、それが独り立ち前の最後の息子としての役目となって、再び母の目に咲太の姿が映るようになり、また梓川家・四人家族の形を取り戻すことができた。
それが咲太の「幸せの形を作る」という決心の第一歩であり、これを以て咲太は大人になったのだと思う。
二人で、共に大人になる
そして、そんな咲太の姿は冒頭の麻衣さんとも重なるもののように思えた。母親との間にわだかまりを抱える麻衣さんも、この一年間の思春期症候群を巡る騒動の中で本当に大切なものを見つけることで、母との関係を見直すきっかけとなり、まだ完全に許せたわけではないけれど、母との間の捻れは少しずつ解消へと向かっていた。
それはつまり、麻衣さんが咲太を取り巻く彼の大切な人たち─もちろん、そこには彼女自身も含む─を見つめる中で、彼女も同様に彼女にとっての大切な人との向き合い方が変わり、それはすなわち彼女が大人になったということを意味していたのだと思う。そして、今回の一件で、咲太もまた同様の過程を経たということなんだと思う。
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