「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「放課後アングラーライフ」─波風立つから、青春の風は吹く─ 感想と考察
青春の大波小波
笑顔はそこそこ、放課後はすぐ帰る、友だちは作らない。引越し先の海辺の街で今度こそは失敗していじめられることのないようにと自らに誓う。そんな女の子がめざしだった。
だけど、彼女はアングラー女子会なるものに誘い込まれ、海釣りを始めることになってしまった。めざしの頭の中を巡るのは、今度こそ上手くやらなきゃという自戒めいた恐怖だけど、椎羅、凪、明里にと過ごす時間はちょっと楽しくて。
友とぶつかり、波は砕ける
でも、だからこそ、きっとめざしにはアングラー女子会のみんなに嫌われたくない、迷惑をかけたくないという思いがあったんだと思う。そして、それが「ごめんなさい」という言葉にすぐ出てしまっていた。凪は「フツーでおったらええねん、私らは仲間や」と言ってくれたりする。でも、まだめざしには友だちというものが分からなくて、この関係を友だちと言えない。
だから、椎羅が友だちらしくふざけたノリをかけてくれた時に、めざしの中にはトラウマが蘇ってしまったように映る。めざしのまだ「友だち」と言えない臆病な心の表出が、拒否反応として出てしまった。そんな風に、めざしの友だちになりたいけど、跳ねのけてしまうという矛盾した心が映し出されていた。
波の向こうに見えたのは、
だけど、明里を通して、めざしは距離を縮めたかったという椎羅の本音を知る。そして、徐々に「友だち」という関係を直視していく。その中でも、特にめざしがみんなから送られてきた写真を目にする場面は、潮風みたいに目に染みてきた。みんなで撮った釣りの写真。そこに映るみんなとの笑顔の表情は、めざしがいくら自分で否定しようと遠ざけようとしても、みんなは友だちだと告げていた。そして、そこに映るめざしは、遠慮しがちに殻を作った自分じゃなくて、めざしの素の笑顔だった。それはまた、めざしがありのままでいられるアングラーライフの居場所を示していたようにも見えるものだった。
エピローグでの船釣りの場面、「友だち」との衝突を乗り越えためざしと椎羅たちのやり取りは、以前よりもあけすけでぶっきらぼうな飾らない友だちらしさを感じさせていた。波風立てない関係ではない、波も風も一緒に乗り越えていく関係をめざしは掴めていた。
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