「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「AKIRA」─万人に眠りし反逆の本能─ 感想と考察
欲望の果実
戦後30年を経て、ディストピアと化したネオ東京。そこは政治家と資本家の身の丈を超えた欲望によって社会は熟れきっていた。そして、もはや腐りかけの果実では、その内に溜め込んだ人々の抑圧された叫びの制御に亀裂が生まれていた。武力による治安統制や民を搾取する税制改革に具現化した現状の社会秩序を崩壊・リセットさせる機運という波がうねりを上げていた。
さらに、政府や軍は人が触れてはならない神の力「AKIRA」も制御しようとしていた。自らの能力を過信して神の領域にすら我が手に収めようと、その欲望を煮詰めさせていた。
反逆者・不良少年
そんなネオ東京で不良少年として不遜に大胆に生きる金田たちは、この社会が産み落としてしまった真逆の象徴として映る。そして、強き支配者・傲慢な『大人たち』と、それに喰らいつく血の気と純真さを携えた『子どもたち』という構図を鮮烈に焼き付ける。
その反逆者や子どもたちの象徴として鉄雄にAKIRAの力が目覚める。彼が幼い頃から抱えてきた誰かの下に敷かれる劣等感は、軍の科学者たちに人体実験されたことへの怒り、金田や同じ様にAKIRAの能力を持つガキたちからの指図への反抗となって爆発する。全てを見返してやるという粋がった感情と共に鉄雄は全てを破壊し尽くす。
オールリセット;破滅の輪廻
しかし、その感情は資本家や政治家に抑圧された社会と同調するものであるが、鉄雄の破壊は無差別にその社会一般民衆ごと破滅へと導く。たとえそれが解放させてはならないAKIRAを呼び起こそうとも全てに反逆する。その果てに自らの力を制御できなくなって自己破滅に導かれようとも…。
そして、鉄雄はAKIRAの力を制御できずに死ぬ。ネオ東京も大部分も崩壊したが、なおそびえ立つビル群を前に果たして私の目には完全に崩壊しきったようには見えなかった。彼には社会をリセットできる程の崩壊ももたらすことができなかったように映った。結局「大人」を打倒しきれなかった。しかし、3人の能力者の子どもたちが「でも、いつかは私たちにも…」「もう、始まっているからね…」言い残したように、新たな秩序に作り変える兆しは見えているのだ。胸に手を当てれば高鳴る鼓動、金田や鉄雄の姿に魅せられて熱を宿した気持ちが次こそ社会に変革をもたらすような気がする。
普遍の力:本能
そんな風に社会と真っ向から対峙する存在であった鉄雄だが、同時に彼自身も「大人」のように己を過信して、その力に飲み込まれてしまったことも事実であった。
また、金田も反逆者でありつつもやっぱり鉄雄の破壊を止めようとしていて、鉄雄や暴徒のように正気を捨てきれずにどこか現状の体制を肯定せずとも否定しないような印象があった。
つまるところ、人というのは普遍的で一度道を外れたところで無意識に軌道修正されてしまう。反逆に反逆を重ね続けない限り、社会や世界を変えることもできないという戒めを受けたような気もした。だから逆説的に、彼らの熱に当てられて盛りづいた反抗心を日常を取り巻く社会常識や正気で潰えさせたくなくなってしまう。それにこれこそが、ナンバーズの子どもたちは誰にでも眠っていると言っていた「AKIRA」の力なのかもしれない。
アンリミテッド・アニメーション
そんな世界観を描いたアニメが贅沢どころではない7億円もの制作費を投じられたというのは、どこか矛盾のようにも思えてしまうところがある。だがしかし、公開当時の1988年という時代を考えると、アニメなんかにそんな巨額の資金を費やすことこそが、ある意味で社会への反逆的な行為のようにも思えてくる。
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