「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「凪のあすから」─好きでいたい、愛していたい─ 感想と考察
カワイソウな子とイヤな子
あの子が好きな好きで好きで欲しい気持ちと、あの子が幸せになって欲しい気持ち。どっちも抑えられない感情だけど両立し得ない現実。
ある子は良い子だから、自分さえ諦めればいいと自分の想いに蓋をしようとする。自分の想いはダメなんだって…。
ある子は好きを諦められなくて自分をイヤな子だって言う。それでもあの子のことがみっともないくらいに好きな姿はそれだけで痛々しい自傷行為。
雪の空気は心さえかじかむ
海と陸を隔てる水面も、あの人との距離を変えた5年間も、いつも為す術もなく近くにあるはずのものを遠くしてしまう。
5年の間に美海は憧れの光に追いつけたと思っていた。もう子どもじゃない、同じ目の高さから一人の女の子として見てもらえると思っていた。だけど、視線が揃っても美海に見える景色は5年前と変わらない、まなかを追いかける光。あの頃も今も自分はただの傍観者で、水面に揺らめく孤独な月にしかなれない。
その5年間はちさきを光のところから遠くへ連れていってしまった。紡と過ごした5年間、ひっそりと新しい想いが芽を出していた。だけど、ちさきはその想いを直視できない。そうして、紡の想いに背を向けるように光を追いかけていた中学生の頃の制服を着てみても、その窮屈さが告げるのはもう自分が子どもじゃないということだけ。だからって「好き」がなければいいのかもと言ってみたり、漂う想いを誤魔化そうと酔いに身をたゆたえようとしても、大人ぶってるだけの子どもの心に気付いて素面に帰ってしまう。好きな人への想いが好きな人の幸せを否定してしまうイジワルな心がイヤで、14歳の純粋な恋心に憧れを抱える19歳の大人な体躯は艶やかな悲哀さを纏っていた。
好きは何でもくれる、痛みも苦しみも、勇気も幸せも。
その人が好きだからその人から好きな人を奪ってしまうことは悲しくて、好きな人の幸せのために自分はその人を好きになっちゃいけないと思ってた。
でも、誰かを好きになる気持ちはダメじゃない。自分を想って泣いてくれた人に好きになって良かったって伝えたいことは間違ってなんかない。一緒にいた日のことやあなたを愛する心を忘れてしまいたいのも、愛ゆえのこと。悲しみもあるのが恋ってことじゃなくて、悲しみもなければ喜びのないのが恋で、好きってこと。
変わってもいい、変わらなくてもいい。「好き」は何にも縛られない、間違いじゃないから。「好き」をいくらあげてもあの子は何も返してくれないかもしれないけど、「好き」は必ずあなたにを何かをくれる。「好き」がくれる勇気とか憧れとか幸せがあるから、せめて自分の「好き」を自分だけは愛してあげたい。
比良平ちさきという子が本当に好き。光が好きでまなかへ渡したくないがためにイヤな子になってしまうとこが好き。19歳になっても14歳の子どもの頃の想いに無様に執着するとこが好き。紡と光への気持ちの中で自分の気持ちに嘘をついたり傷付けたりしてしまうとこが好き。「好き」に真っすぐで、だから「恋」が下手くそな、そんな痛ましくて綺麗でみっともなくて愛おしいちさきが好き。
潮留美海って強くて弱い子が好き。彼女の「好き」いつだっては誰かに力をくれる。あかりの運命に抗う恋も、光の届かない恋も美海が背中を押してくれていた。だけど、自分の「好き」にはいつも負けそうになってしまう。だから、いつも美海の隣で「好きで良いじゃん!自分の好きに嘘つくなよ!」って叫んでたさゆみたいに彼女の「好き」を肯定してあげたくなる。
久沼さゆに憧れている。自分の「好き」にも他人の「好き」にもどこまでも真っすぐで純真なちっちゃくて小生意気な女の子はとっても強くて眩い。
「凪のあすから」という物語が好き。どこまでも澄んでいて、どうしようもなく痛い。たくさんの数え切れないくらいの想いが溢れて込み上げてくる。
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