「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「秒速5センチメートル」─刹那的で一度きりの甘い夢─ 感想と考察
認めたくない後味
見終わった直後、呆然あるいはショックを受けてる。二人はまた出会えるんじゃないかって思ってた。
でも、この感情こそが答えなのだと思う。人生は複雑で大きすぎて、その中でただ波のままに揺られて、流されることしかできない。いくらあの島へと願ったところで、海はそんなもの意に介せずに僕を運んでいく。でも同じ海の上を浮かんでいる限りは、いつかまた君と出会えるんじゃないかって思わずにはいられない。地球の7割を覆う海の上でたった一粒同士の雨の滴が重なり合うような確率を、もしかしたらと夢見てしまう。
そして、そんな感情をきっと幼さというのだと思う。
少年が大人になってしまった瞬間
遠野はきっと栃木に向かう道中、子どもにはどうにもならないくらいに広すぎる世界を知って、運命に疑いを抱いてしまった。数分の電車の遅延は何時間にも膨らみ、ただ吹き抜けた風は明里への手紙を奪っていく。何気ないはずのことが13歳にとっては全てが重くのしかかる。
そして、明里とキスしたあの夜にそんな運命のなさに気付いてしまい、やがて明里にメールを送ることをやめてしまった日に遂にその運命を信じられなくなってしまった。
それを大人になることというのだと思う。
桜の色はぼんやりと淡いままでなければいけない
だから、大人になれば、そんな奇跡みたいな運命みたいな再会なんて起こりっこないってことくらいすぐに分かる。それが現実。そして、そんな人がいたことすらもさっさと忘れてしまうのが正しい人生の生き方。だけど、そんな人生は何色をしているだろうか。冬の冷たい雪の色か、どんよりとした雲の色か。
でも、きっと哀れで無知な幼さのままに運命を願っていれば、世界は春の降り注ぐ花の景色のように見えるはず。バラ色には染まらなくても、どこかその桜吹雪に寂しさを感じながらでも、その向こうにバラの色を透かしたような桜の色をした景色が見えるはず。
あるいは、夜明け間際の空に滲んだ薄明の色をした夢を見続けていれば、それが永遠の深い夜を連れてくる日暮れだと気付かないでいられるのだ。
夢現の幸福
そこに君の気配を感じて振り向こうとする瞬間を永遠にすることができれば、どんなに幸せだろうか。それがきっとあの踏切で明里の気配に振り向いた瞬間の遠野を表していたと思う。
でも振り向けば、そこに明里はいないという無機質な現実しかないことに気付いてしまうのだ。もう少しで届きそう……。そんな風に永遠に焦がれることができたらどんなに幸せだろうか。届かせようとしてしまえば、たちまち夢は消えてしまうのだ。
そんなことを考えると、もしかしたら遠野に気持ちを伝えようとして諦めてしまった澄田が一番幸せなのかもしれない。少なくともあの時の彼女は、遠野が来て帰る東京の景色も、自分の進路すらも知らない子どもだった。
そして、遠野ではない誰かと結婚をした明里は今更子どもの頃の恋を思い出すことは淡い思い出どころか、遠野ともその誰かとも苦い関係になりかねない。確かに遠野とすれ違った明里が振り向いた先にいなかったのは、ちゃんと大人としてそんな思い出ごと忘れてしまったということなのかもしれない。
One more time, One more chance
一度知ってしまったことは忘れられない、一度忘れてしまったことを思い出してはいけない。全てが刹那的で、もう後戻りができない。そんな人生にこう思わずにはいられない。
いつからか忘れてしまった子供じみた運命を、今もいつまでも信じることができたならば…と。
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