「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「聲の形」─他者理解の意味─ 感想と考察
他者理解
小学生だった将也たちには最初から悪意があったわけではないと思う。コミュニケーションが円滑に取れない人間にどうしたらいいのか、そもそも聴覚障害が何なのか小学生にはよく分からないだろうし、戸惑いしかないのだろうと思う。 聴覚障害のある人が自分の身近にいたことがないから分からないけれど、たぶん外国人に対する感覚に近いのだと思う。植野が「日本語喋れるの~?」って硝子に言っていたように。
互いに友達になりたいのに、将也たちと硝子、将也と周囲の人間も互いに互いを理解できないから分かってもらえないから乖離が進む。
マリアの父でペドロというブラジル人がこの物語には登場して、作者にそんな意図があるとは思わないし、彼のわずかな台詞での日本語は堪能であったが、それでも外国人という存在は上手くコミュニケーションが取り合えない、何を考えてどう思っているのかがよく分からない存在の象徴のように自分には意識された。
他者に理解してもらうことと理解しようとする難しさと必要性を感じ、特に分からないの向こう側にはすれ違いの存在があり得るということを意識させられた。