「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「中二病でも恋がしたい!」感想と考察
中二病とは自分らしさ
この作品、前半は脱中二病を果たし高校デビューへと息まく主人公である富樫勇太と中二病を拗りに拗らせた小鳥遊六花の中心とした楽しいお話が繰り広げられていたが、これは後半からしてみれば言わば前座のようなものでこの後半にこの物語の主軸があるように思う
六花は二年前に父親を亡くし、そのことが受け入れられなかったが当時引っ越した先で見かけた現役の中二病男子だった勇太の自分を押し殺さず生き生きとしていて自分の思いを貫ける強さを持った、解放された立ち振る舞いに憧れて彼女もまた中二病に目覚めたわけだが、この中二病の今作での意味とはなんだろうか
これは、現実を離れ自分だけの自分がありのままの姿でいられる世界だと思う 六花は父親を失った現実やその悲しみを受け入れられず行き場のない気持ちを中二心に昇華させて孤独に逃避をし、父親の存在を自分の中でこの世に引き留めていた
また、中二病というのは現実の大人社会への抗いでもあると思う
学生というモラトリアムな立場だからこそ、己の思いのままに、あるがままに生き理想の姿を追い求める形であろう
しかし、彼女は大人へとなっていき、また父親の死にも向き合わねばならざるを得なくなっていく、その中で彼女は中二病を卒業したが上手く父親の死を受け入れ切れず葛藤し、いわばアイデンティティの拡散のような状態に陥っていた
彼女は周囲の大人たちが満足するように振る舞って自分らしさ抑えつけていた、でもどこかで自分らしさを捨て切れないような姿も垣間見え孤独に苦しんでいるようであった
そんな六花に勇太はあるがままを享受するんじゃなくて、自分は自分らしく特別になれと彼女が心から納得し消化できるような形で父親の死を受け入れる手助けをしてあげた
そして彼女は勇太の導きで抑圧した仮面を被った自分としてじゃなく、らしい自分として父親の死を受け入れられた、そして自分らしさ、アイデンティティである中二病も取り戻せた
この物語はそういう一人の少女の精神的な青春的な思春期的な成長譚であると思う
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