「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「やがて君になる」漫画 感想と考察
好きって…
好きを知らない侑は確かにはじめは燈子からの「好き」に応えるための好きを知らない様子であったが、次第に燈子から愛される中で燈子への「好き」を抱き始めた。しかし、それは理想像である姉を演じて本当の自分を剥離させ自分は空っぽで嫌いと言う燈子に対して「好き」は伝えられず、許されないがために 侑は自分に「好き」は分からない、「好き」になれないと自分の感情をごまかし押し込め続けていたように見えた。
本当は「自分にはない好きが羨ましい」ではなくて「自分には許されない好きが羨ましい」のではないかと思う。
その行く末が生徒会劇での脚本の変更に繋がったのだとも思う。
確かに空っぽの自分が嫌いで、理想である姉という呪縛に囚われた燈子に侑は本当の自分を取り戻して好きになって欲しいという気持ちもあったと思うが、それ以上に自分が燈子を好きになることが許されない苦しさ、もどかしさから自分を解き放つための侑の決断でもあったとも思う。
誰しも恋には臆病
生徒会劇を通して燈子は姉というある意味過去の亡霊ともいえるものから自らを解き放つことができ本来の自分を取り戻せたが、同時に燈子の姉を演じた裏に抱える弱さを曝け出せる存在としての特別な立場を侑は失ったように感じた。
それでも侑の燈子への特別な想いは依然あり続け、まだ受け入れられないかもしれないと思いながらも燈子に「好き」を打ち明けた。
しかし、燈子に好きを伝えたいがそれを拒絶されてしまった侑はそのことをなかったことにしようとやっぱり「好き」はわからなかったとごまかす。
燈子も実はその言葉に応えたかったが「ごめん」の一言を巡り二人はすれ違ってしまった。(作中では燈子は侑に「好き」を押し込めさせてきたごめんであったが、その後に湧く拒絶のごめんであるとも私は解釈している。)
そして、燈子は今度は侑の好きに応えたい気持ちと侑が好いてくれる自分が変わったら侑が離れてしまうのでないかという恐怖心の間で揺れる。
さらに、沙弥香も修学旅行の中で燈子の隣に安住してこの立ち位置を失うことを恐れていたけれど、ただ燈子が自分の「好き」を受け止めてくれるのをただ待つのはやめて想いを伝える。
結果は沙弥香は燈子に選ばれなかったけれど、沙弥香は燈子に例えあなたが変わってしまって完璧さ失ってもあなたはあなたであり、燈子が好きだと告げた。
自分は変わってもいいと、好きなのはあなたのキャラクターじゃなくてあなた自身であり、変わったとしてもそれは好きなあなたの新しい一面を見つけることになるのだということを燈子に教えた。
そして、燈子は侑に「好き」と、「あなたは私の好きなあなたでい続けてくれるはず」と告白した。
こうして二人は恋人という関係へ形を変えたが、その日常は常に流れて変化していく。
燈子も侑もそれぞれ自らの道を行き二人の恋人関係も形は変わっていくけれど本質は変わらない、「燈子と侑」のままである。
流れゆく日々は自分をここまで導いてきた道しるべだった
この道しるべとは燈子にとっては一つは姉であり、また一つは侑や沙弥香であった。
燈子が姉を演じたことやそれを侑に正されたり、沙弥香に告白されてそれを振ったり、また侑が許されないはずの好きを伝えたりしたからこそ今の「侑と燈子」がある。
誰が欠けても今の燈子に繋がる過程はありえなかったし、色んな葛藤を経たからこその今の日常がある。
そして新たな出会いを経て彼女たちは新しい自分を見つけて先へ、先へと進んでいくのだと思う。
やが君を読んで
今回は8巻を遅ればせながら読もうとした際にいっそのこと最初から読み返そうと復習してから8巻を読んだのだが、思いの外に新しい発見がたくさんあった。
ただの尊い百合模様以上の思春期の少女の恋への葛藤や自らのアイデンティティと向き合う姿を垣間見させてもらった。
また、この恋物語にどこかもやもやしたような感覚がつきまとうのも思えば恋愛なんてそんなもんばかりだし、「好き」の気持ちなんていつからやどこからなんてない無限にグラデーションなものであり、想い人が想い人であるから好きなのであってそこにそれ以上の理由などないからであった。
また、以前は特にこれといった推しがこの作品にはいなかったのだが、今回読み返したことで佐伯沙弥香のことが大好きになった。
作中では燈子以上に完全無欠な姿ばかり見られた佐伯沙弥香なので、かえって彼女の完璧じゃないちょっと抜けたようなところを見せられるとどうしようもなくそのギャップが愛おしくなってしまう。
さらに、佐伯沙弥香は燈子のことを侑より以前から想っていてずっと尽くしてきたのに、侑から燈子を奪われるならまだしも燈子に自分は見向きもされず燈子は侑に即落ちして振られてしまう程の負けヒロインであり、その切なさや悔しさに身もだえる姿が好き。
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