「物語の読解、演出の解体、世界観の抽象化」
「夜のクラゲは泳げない」─青春は痛くて、輝いていて─ 感想と考察
第1話「夜のクラゲ」
本音を言って否定されることを怖がる。そんな私が光月まひるで、量産型女子を生きる将来はつまらない大人になるもんだと思ってた。でも、そうはなりたくない。そんな何者かになりたい私、それが光月ヨルとして映し出されていた。
だけど、幼い頃にイラストを描いていたヨルは、せっかく壁画に選ばれた絵を「変な絵」と言われた過去があって…。きっと、その時にまひるの中の特別な自分はフツーな価値観に押し潰されてしまったのだと思う。さらに、そんな「フツー」に負けてしまった過去があるからこそ、今のまひるは仄かに燻る当時の未練を肯定できずにいたように思う。
そして、そういった心中があったから、まひるはクラゲの壁画の前でのライブパフォーマンスに文句を言おうとしても、「そんなこと言う権利、私には…」と躊躇してしまったし、花音からの「ヨルの絵が欲しい!!」というお願いにも「私にはそう思えないよ…」と答えてしまった。そして、まひるが「私はフツーの女子高生だし…」と呟く言葉は、特別を、やりたいことを諦めてしまった過去の自分を納得させるための言い訳のように聞こえるばかりだった。
だけど、最後の「クラゲは外から光を蓄えて輝く」という喩えは、まさにまひるに変わることを許す言葉だった。変われない変わりたくない……と頑なだったまひる/ヨルになりたいとやりたいの光をくれた。
第3話「渡瀬キウイ」
子どもっぽいってやっぱり強さなんだと思う。そして、そんなことを見つめ直すためのこの渡瀬キウイのエピソードだったようにも思う。
第2話でめいを仲間に引き入れたJELEEは、次に動画制作担当としてまひるの友人・渡瀬キウイに目を付けた。彼女はいわゆるVtuberとして活動していて、さらに学校では人気者とまひるは紹介していた。まさに完璧超人みたいな子、のはずだった…。
だけど、本当のキウイは完璧超人であると飾り偽るばかりの不登校。とはいえ、Vtuberとしてのオンライン上での虚言も親友のまひるに対しての嘘も、決して自分を大きく見せるためのものではないように思う。むしろ、それは無くなってしまったキウイの居場所を作り出すための言動。周囲から認められなくなって押し潰されてしまった自分が、かろうじて息ができてありのままでいられる場所がVtuberとしての虚言やまひろへの飾った言動だったのだ。
そして、キウイが居場所を失ってしまった原因の話。それは、彼女の個性の強さや意志の強さにあった。キウイのそれは幼い頃は人気者になる理由であったが、年を重ねるごとに徐々に周囲から受け入れられないものとなっていって、かつてのクラスの人気者は今では強烈に浮く存在になってしまっていた。そんなキウイのことを大多数のいわゆるフツーの人たちはいつまでも子どもっぽくてくだらないと疎む。
だけど、私はそんな彼女の子どもっぽさを肯定したい。それは、決して彼女のことを子どもっぽくないと言いたいわけではない。むしろ、その子どもっぽさごとそのまま肯定してあげたいのだ。なぜなら、そんな恥ずかしいことを大きな声で言い張れるのは絶対的な強さだから。ありたい「最強でいたい」という壮大な自分像を自分の言葉で語れるのは紛れもない強さだからだ。
そして、そんなキウイのような姿を「恥ずかしい子」と斜に構えて嘲笑するのは簡単だけど、それで何かを成せるわけではない。キウイのように恥ずかしいことを恥ずかしいと思わずに主張できるくらいであってこそ、何か大きなことを成し遂げられるのだ。だから、私は渡瀬キウイのことを応援してあげたいし、大人になってもなお子どもっぽさを抱え続けることを否定したくないのだ。
第4話「両A面」
「JELEE」の本格始動と対をなすように、花音がかつて所属したアイドルグループ「サンフラワードールズ」の再始動が重なる。
そもそも、花音がアイドルをやっていたのは、母親を喜ばせるため。そして、その母親はサンフラワードールのプロデューサー。それ故に、件の暴力事件をきっかけとした脱退劇が大きなショックとして彼女の胸に残る。
そんな過去を踏まえて今、花音はサンフラワードールに対して何を思うのか。JELEEの新曲を彼女らの新曲に合わせて出そうと躍起になる姿に滲み出るのは、妬み、嫉妬、悔しさ、やるせなさか…。だけど、そんなネガティブな感情は、「だったら、私はJELEEでやってみせる」という負けん気にも繋がる。そして、そういった拗らせたポジティブさというは、なんだか無性に応援したいという気にさせてくるのだ。
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